明治6(1873)年に設置された内務省は、警察組織だけでなく殖産興業にも大きな役割を果たし、各地に製糸や紡績などの「官営模範(もはん)工場」を設立しました。なお、先述の富岡製糸場も官営模範工場のひとつです。また、内務省は殖産興業の一環として、明治10(1877)年に東京の上野で第1回内国勧業博覧会を開きました。
政府は北方の開発にも力を注ぎ、明治2(1869)年に蝦夷地(えぞち)を「北海道」と改称して「開拓使」を置き、アメリカ式の農場経営を行うとともに、明治7(1874)年には士族授産の意味も込めた「屯田兵」制度を設けて、開拓とともにロシアへの備えとしました。
また、明治9(1876)年には「お雇い外国人」のひとりであるアメリカ人のクラークを招いて札幌農学校(現在の北海道大学のルーツ)を開校したほか、これとは別に、先住民のアイヌの人々を保護する政策を行いましたが、長い年月のあいだに日本人との同化が進んで、アイヌ固有の伝統や文化が失われていきました。なお、クラークが帰国の際に生徒に残した「少年よ大志(たいし)を抱け」という言葉が有名ですね。
この他、農業や牧畜においても技術の改良が行われ、三田育種場(みたいくしゅじょう)や駒場農学校では、近代的な実験や農学教育が行われています。
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