しかし、政府が旧幕府の頃の年貢収入を維持することを前提として地価を定めたり、あるいは全国的な測量の際に、地価に対する高額な査定を受けたりしたことで、農民の不満が高まりました。
また、それまで共同で利用していた、山林や原野などの入会地(いりあいち)のうち、所有権が明確でないものを官有地として編入したことも農民の反発を呼び、各地で「地租改正反対一揆」が起こりました。
このため、政府は明治10(1877)年に税率を地価の2.5%へと引き下げましたが、一連の流れを風刺(ふうし)した川柳(せんりゅう)として「竹槍(たけやり)でドンと突き出す二分五厘(=2.5%のこと)」が有名です。
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