また、欧米列強にも負けない近代的な軍隊を編成することも考えていた政府にとって、武士に頼らないためにも、すべての国民が兵役に服するべきであるとする、いわゆる「国民皆兵(かいへい)」が重要であると考えるようになりました。
国民皆兵は、初代の兵部大輔(ひょうぶたいふ)の大村益次郎(おおむらますじろう)が唱えていましたが、大村が明治2(1869)年に暗殺されると、その遺志を継いだ山県有朋(やまがたありとも)によって具体化されました。
政府は、明治5(1872)年に「全国徴兵の詔(みことのり、天皇の言葉を直接伝える文書のこと)」や「徴兵告諭(こくゆ)」を出すと、それに基づいて翌明治6(1873)年1月に「徴兵令」を公布しました。
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