しかも、現金化が可能となるまでは年間の利息分しか支給されず、華族などの高禄者が投資などで生計を立てることが可能だった一方で、生活できない額の利息しかもらえなかった多くの士族が困窮(こんきゅう)するようになってしまいました。
利息だけでは生活できない士族たちは、官吏や巡査、あるいは教員などに転身した一方で、証書を手放して得た一時金で慣れない商売に手を出したものの、いわゆる「士族の商法」で失敗する者があとを絶ちませんでした。
政府は士族救済のために事業資金を貸し付けたり、屯田兵(とんでんへい)など北海道の開拓事業を行ったりする(詳細は後述します)など「士族授産」の道を講じましたが、成功した例は少なく、没落する士族が増えていきました。また、これとは別に、秩禄処分と同じ明治9(1876)年に士族の帯刀(たいとう)を禁じる「廃刀令」が出されており、二重の意味でそれまでの特権を奪われた士族の憤激(ふんげき)が次第に強くなっていきました。
こうした流れに加えて、急進的な近代化にこだわるあまり、日本の伝統を粗末(そまつ)に扱おうとした当時の明治政府への日本精神からの異議申し立てという一面もあったことで、国内において「士族の反乱」が相次いで起きるようになるのです(詳細は後述します)。
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