すなわち、従来の太政官の外に、神々の祀(まつ)りをつかさどる神祇官(じんぎかん)を復興し、太政官の下に民部省(みんぶしょう)などの各省を置きました。その後、廃藩置県が行われた明治4(1871)年にさらに改革され、太政官を「正院(せいいん)・左院(さいん)・右院(ういん)」の「三院制」としました。
このうち、正院は現在の内閣に相当する太政官の最高機関であり、太政大臣・左大臣・右大臣の3大臣と参議とで構成され、神祇官から改変した神祇省(じんぎしょう)を含む各省は太政官に属しました。また、左院は立法機関にあたり、右院は行政上の調整機関として存在しました。
政府内では、三条実美(さんじょうさねとみ)や岩倉具視(いわくらともみ)といった公家(くげ)とともに、薩摩・長州・土佐・肥前(佐賀)のいわゆる「薩長土肥(さっちょうとひ)」の若き実力者たちが政治の実権を握りました。彼らによる政権は、後に「藩閥(はんばつ)政府」と呼ばれるようになります。
なお、薩長土肥の主な人物は、薩摩藩が西郷隆盛・大久保利通・黒田清隆(くろだきよたか)、長州藩が木戸孝允・伊藤博文(いとうひろぶみ)・井上馨(いのうえかおる)・山県有朋(やまがたありとも)、土佐藩が板垣退助(いたがきたいすけ)・後藤象二郎(ごとうしょうじろう)、肥前(佐賀)藩が大隈重信(おおくましげのぶ)・副島種臣(そえじまたねおみ)・江藤新平(えとうしんぺい)らです。
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