まず挙げられるのは、当時の多くの武士たちが持っていた「先祖代々続いてきた我が国を守らなくてはいけない」という強い使命感でした。ある意味「武士の集団自殺」ともいえる大事業は、一人ひとりの武士の気概(きがい)によって支えられていたのです。
また、他にも「経済的な事情」がありました。この頃の諸藩の財政はほとんどが破綻(はたん)しており、多額の負債を抱えていましたが、廃藩置県によって明治政府が肩代りすることになったのです。それ以外にも、旧藩主が華族(かぞく)として優遇されていたことや、旧藩士に与えられていた俸禄(ほうろく)を政府が当分の間保証した、という現実的な一面もありました。
なお、廃藩置県によって当初は3府302県が置かれましたが、その後統廃合が繰(く)り返され、明治21(1888)年には現在に近い3府(東京・大阪・京都)43県となっています。
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