しかし、欧米列強による侵略から我が国の独立を守るためには、権限と財源の政府への一元化を、すなわち政府の命令を全国津々浦々にまで行き届けるために「中央集権化」をめざす必要がありました。
このため、政府は明治2(1869)年旧暦1月に、木戸孝允(きどたかよし)や大久保利通(おおくぼとしみち)らの働きかけにより、薩摩・長州・土佐・肥前(佐賀)の4藩主に連名で「版籍奉還(はんせきほうかん)」を出願させました。
版籍奉還とは、藩が持つ領地(=版図)と領民(=戸籍)を還(かえ)し奉(たてまつ)る(=朝廷に返上する)ことであり、朝廷=天皇にお返しするという形式に、すなわち天皇を前面に押し出すことで、他の諸藩も返還に応じやすくさせるという思惑がありました。なお、政府は同年旧暦6月に、諸藩に版籍奉還を命じています。
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