明治の元号は慶応4年旧暦1月1日からさかのぼって適用され、以後は天皇一代につき元号一つと決められました。これを「一世一元(いっせいいちげん)の制」といいます。
一世一元の制によって、天皇が交代するまでは同じ元号を使用するとともに、天皇の崩御(ほうぎょ、天皇・皇后・皇太后・太皇太后がお亡くなりになること)後には元号をそのまま追号とすることになりました。この制度は現代にも受け継がれています。
明治元(1868)年旧暦9月20日、明治天皇は東京へと行幸(ぎょうこう、天皇が外出されること)され、翌10月に到着されると、江戸城を東京城と改められました。その後、一旦(いったん)京都へ戻られた明治天皇は、翌明治2(1869)年旧暦3月に再び東京へと行幸されると、東京城を皇城(こうじょう、現在の皇居)として定住されるようになりました。
明治天皇が一旦京都へと戻られたのは、それまで1000年以上も首都であった京都の市民の落胆(らくたん)をお慰(なぐさ)めされるためだったといわれています。その後、明治2(1869)年に我が国の首都が東京と正式に定められましたが、これを「東京遷都」、または「東京奠都(てんと、奠都とは「都を定める」という意味)」といいます。
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