ところが、時の野党である立憲政友会(りっけんせいゆうかい)が「与党の攻撃材料になるのであれば何でもよい」とばかりに統帥権干犯問題を政争の具として軍部と一緒になって政府を攻撃したことで、話が一気に拡大してしまったのです。ちなみに、この時に政府を激しく非難した政友会の議員の一人である鳩山一郎(はとやまいちろう)は、鳩山由紀夫首相の祖父です。
条約そのものは何とか批准(ひじゅん、国家が条約の内容に同意すること)出来たのですが、当時の首相であった立憲民政党(りっけんみんせいとう)の浜口雄幸(はまぐちおさち)が、東京駅で狙撃(そげき)されて重傷を負うという事件が発生してしまいました。
その後の我が国は、国家としての統制のとれない二重政府(にじゅうせいふ)の状態と化してしまったことによって、統帥権を盾(たて)にした軍部の暴走を政府が止めることができず、やがては「昭和の悲劇」ともいえる戦争状態へと突き進む原因の一つになってしまいました。
統帥権の独立は明治憲法の重大な欠陥だったのでしょうか。あるいは解釈や運用の誤りだったのでしょうか。ただはっきりといえることは、統帥権干犯問題が戦争の引き金となり、我が国が敗戦したことによって、明治憲法はその存在を否定され、連合国軍最高司令官総司令部(=GHQ)の命令によって日本国憲法が新たに制定された、ということです。
では、日本国憲法の制定に関する経緯や、その内容についてはどうなのかという問題が気になるところですが、これらについては、いずれ機会があれば改めて紹介したいと思っております。
※第9回歴史講座の記事はこれで終了です。なお、明日(2月18日)からは第10回歴史講座の内容の更新を開始します。




いつも有難うございます。
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Masa 今回の歴史講座、すべて拝見させていただきました。
とても面白かったです。
学校の教科書の知識だけでは、表立って話すのは恥ずかしいですねw
「明治憲法」が、実はその当時の憲法としてとてもすばらしいものだったということに、とても驚きました。
楽しい講座をありがとうございました。
明日からも期待していますv
.
オバrev きっちり解釈すると、明治治憲法に対する認識がこうも違っていたとは驚きです\(◎o◎)/!
国家的重要事項を、政争の道具としてしまったことに、悲劇的な大戦に突っ走ってしまった一つの要因があったんですね。
与野党ですから政治的対立はあるでしょうが、根本的な事に関しては、政治家ならある程度同じはずなのにと思います。
繰り返して欲しくないですが、現在も同じ過ちを繰り返しつつあるような気もします(^^;)
.はじめまして
クメゼミ塾長 通信教育で教員免許を取得・・・
⇒ 努力されているのですね
私の兄弟や甥っ子は、教師が多いです
教師復帰、頑張ってください
応援します~♪
.
ぴーち こんばんは!
重大な欠陥があっても、20年も掛けて構想を練り制定された憲法をおいそれとは、改定出来るわけもなく、昭和の悲劇である「戦争」という大きな深手を負うことで、日本国憲法へと新たな新法へ改定する事となったわけですか。
改定されるまでの代償は余りに大きかったですね(><)
応援凸
Masaさんへ
黒田裕樹 > 今回の歴史講座、すべて拝見させていただきました。
> とても面白かったです。
有難うございます。お気に召していただいて光栄です。
> 学校の教科書の知識だけでは、表立って話すのは恥ずかしいですねw
> 「明治憲法」が、実はその当時の憲法としてとてもすばらしいものだったということに、とても驚きました。
教科書の知識は必要最小限のみですからね。それでも正しければ何の問題もないのですが…。
通常の歴史教育のみならず、様々な知識を持つことは決して無駄ではないと思います。
> 楽しい講座をありがとうございました。
> 明日からも期待していますv
明日からは東京講演の「信長と信玄」が始まります。是非お越し下さい(^o^)丿
オバrevさんへ
黒田裕樹 > きっちり解釈すると、明治憲法に対する認識がこうも違っていたとは驚きです\(◎o◎)/!
残念ながら、現状の歴史教育や公民教育では、なぜかこういう結果になってしまいます(´・ω・`)
通常の解釈による明治憲法の論議がもっと盛り上がればいいのですが…。
> 国家的重要事項を、政争の道具としてしまったことに、悲劇的な大戦に突っ走ってしまった一つの要因があったんですね。
そのとおりです。第二次大戦への参戦、そして敗北に至る道のりは非常に複雑ですが、少なくとも統帥権干犯問題が原因の一つであることは疑いありません。
> 与野党ですから政治的対立はあるでしょうが、根本的な事に関しては、政治家ならある程度同じはずなのにと思います。
> 繰り返して欲しくないですが、現在も同じ過ちを繰り返しつつあるような気もします(^^;)
「政争の具のためなれば何でも良い」「党利党略のためなら国益を損なおうとも一向に構わない」。
これこそいわゆる「いつか来た道」ではないかと思うのですが…。歴史に学ぶことはいくらでもあるはずです。
クメゼミ塾長さんへ
黒田裕樹 はじめまして。当ブログへのご訪問ならびにお言葉有難うございます。
> 通信教育で教員免許を取得・・・
> ⇒ 努力されているのですね
いえいえ、好きで始めたことですから。
一時でも教師になれて、良かったと実感しています。
> 私の兄弟や甥っ子は、教師が多いです
> 教師復帰、頑張ってください
> 応援します~♪
有難うございます。
今後ともよろしくお願いします。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 重大な欠陥があっても、20年も掛けて構想を練り制定された憲法をおいそれとは、改定出来るわけもなく、昭和の悲劇である「戦争」という大きな深手を負うことで、日本国憲法へと新たな新法へ改定する事となったわけですか。
> 改定されるまでの代償は余りに大きかったですね(><)
我が国では一度制定された憲法は、他の法律と違っておいそれと改正できないようですね。
それが昭和の悲劇を生む原因の一つになりました。ひるがえって現行の憲法はどうでしょうか…。
.黒田裕樹さん
りら 連合国軍最高司令官総司令部(=GHQ)の命令によって日本国憲法が新たに制定された、ということです。
いくら戦争に負けたからといって
勝手に日本の国の憲法を他国で作っ
ことについては 以前より不満です
りらさんへ
黒田裕樹 > いくら戦争に負けたからといって
> 勝手に日本の国の憲法を他国で作っ
> ことについては 以前より不満です
りらさんのお気持ちももっともだと思います。
独立国でありながら、占領時に「押し付けられた」憲法をいただくことへの不満。
とはいいながらも、60年以上もその憲法を遵守(じゅんしゅ)しているという現実。
日本国憲法を語るには、私自身も更なる理解が不可欠だと感じております。
.
HANA子 なんとも恥ずかしい話ですが、今回の記事にある立憲政友会と鳩山一郎のくだんのお話はまったく知りませんでした
近代史好きを自称しているのに恥ずかしいなぁ
とりあえず、穴に隠れる代わりにコタツにでも頭を突っ込んでおきましょう
それにしても統帥権干犯問題が拡大する片棒を担いだのが鳩山一郎氏だったとは・・・・・・
現在の民主政権の今までとこれからを考えるに、何か因縁のようなものを感じてしまうのは考えすぎでしょうか
後の時代に災禍を起こすきっかけとなる過ちが同じ血統によって繰り返されないことを願うばかりです
次回からの講義も楽しみにしています!
HANA子さんへ
黒田裕樹 > なんとも恥ずかしい話ですが、今回の記事にある立憲政友会と鳩山一郎のくだんのお話はまったく知りませんでした
> 近代史好きを自称しているのに恥ずかしいなぁ
> とりあえず、穴に隠れる代わりにコタツにでも頭を突っ込んでおきましょう
いえいえ、軍部が主張したというのは皆様ご存知でも、政党がその尻馬に乗ったというのは意外と知られていないものです。私も長い間だまされ(?)続けてきましたから。
> それにしても統帥権干犯問題が拡大する片棒を担いだのが鳩山一郎氏だったとは・・・・・・
> 現在の民主政権の今までとこれからを考えるに、何か因縁のようなものを感じてしまうのは考えすぎでしょうか
> 後の時代に災禍を起こすきっかけとなる過ちが同じ血統によって繰り返されないことを願うばかりです
実は私も非常に気になっています。
「歴史は繰り返す」。使い古された言葉ですが、それだけに背筋が寒くなる気もしてきますよね(´・ω・`)
> 次回からの講義も楽しみにしています!
有難うございます(^o^)丿
東京の皆様に大好評だった「信長と信玄」、いよいよ次回から始まります!
まっとうな御意見でした。
晴雨堂ミカエル 大日本帝国憲法を好意的再評価する説を述べられると思いきや、戦前の右翼思想家西田税が見たら激怒して天誅をくだす内容、まことにまっとうな諭でした。
帝国憲法についての見解は、私もほぼ同じです。明治維新の元勲が健在だった頃は想像できなかったノーマークを箇所を昭和の軍部が突いた、このノーマーク箇所の教訓は現在も活かすべきでしょう。
もともと天皇機関説にしても、あの昭和天皇が摂政だった頃はご納得されていた制度でした。ところが軍部や世論に流されてしまわれた。皇室の帝王学は代々時の権力のバランスの中で巧く綱渡りをして皇統を守る事ですから、仕方ありませんが。
ただ、一点だけ引っかかる事が。
帝国憲法成立の経緯や内容を高評価する文面の後で植木枝盛が祝いの言葉を残したエピソードを紹介された。
たしかに事実ですが、枝盛に限らず大半の自由民権運動家にとっても憲法と民選議員による国会の設置は、欧米先進国と肩を並べるための悲願でした。ですから概ね歓迎の意を表明しています。
枝盛は単に憲法と国会が日本にできた事を「良い事だ」とコメントしているに過ぎません。
彼は当時から男女同権論者であり、女性解放論者であり、後に衆院議員になってから帝国議会において女性の政治活動参加を認める法案(注・「選挙権」ではない。選挙権まで踏み込むと憲法改正という難事業に着手する羽目となり、民権派議員の足並みが揃わなくなる)を提出して衆院で可決させた人物です。
明治前期、女性は自由民権運動の重要な担い手であり、日本各地の地方選挙も参政権は男子に限定しておらず、民権派が強かった地域では女性参政権は認められており、そうでなかった地域でも男女に関わらず「世帯主」「家長」が投票していました。憲法発布直前の政府条例で民権派勢力を削ぐ目的で女性参政権を奪い、枝盛たちもかなり反発しました。
ですから、内容を評価したとは考えられません。あの紹介の仕方では、帝国憲法の内容まで歓迎したかのように誤解されてしまいます。
また、第1回衆院は民権派が過半数をとっていて、時の政府は天皇の名に於いて強引に解散させ、次ぎの選挙では民権派候補に対しあからさまな妨害工作をしました。中には警官がならず者を引き連れて候補者を演台から引き摺り下ろし袋叩きにして撲殺する事件もあり、民権派の地盤だった高知では内乱状態になりました。
そんな歴史も考慮してください。高知県の護憲派市民にとっては、枝盛たちを弾圧した官憲派を第二次大戦でアメリカが潰してくれた、という認識です。
高知市に自由民権会館という大きな施設があります。民権運動の博物館ですが、見学されたら判ると思いますがあれは事実上植木枝盛記念館です。土佐の護憲派にとっては枝盛は龍馬以上の偉人です。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 いつも詳細なお言葉有難うございます。
歴史を一方的に見ることは、どちらの方角であっても大変危険なことであり、歴史教育に携わる立場としては、事実や真実に基づいたうえで、是々非々で対処すべきと考えております。
明治憲法も当然そういう立場にたって考察しており、憲法の素晴らしさを伝えると同時に、マイナス面もきっちりとまとめ上げるのが責務であると自覚しています。
植木枝盛の件、ご紹介下さって有難うございました。文章の一部を修正しておきましたのでご確認ください。なお、帝国議会が産声を上げた当時の首相が藩閥政治を標榜する山縣有朋だったことが、その後の憲政に影響を与えた可能性もあると思っております。
.
智里 いまさらながら明治憲法の講座をすべてみました。
統帥権がこの後の悪夢の元凶だったんですね。
そのためにGHQが新しい憲法を作らせて、何度もダメだしをしたんですね。
もし戦争に勝って統帥権が残ってたら、いまの日本はアフガニスタンやイラクのような状態になってたんでしょうか?
逆に言ったら、戦争に負けて憲法になって良かったんでしょうね。
だけど自衛隊が庁から省に上がって、憲法9条はどうなるんでしょうね。
歴史を繰り返さないといいな・・・。
智里さんへ
黒田裕樹 最後までご覧いただき、有難うございます。
統帥権については、シビリアンコントロールが可能になるように早めに改正すべきだったのか、あるいは解釈次第で抑制が可能だったのか…。今回は話が大きくなりすぎるので割愛しましたが、統帥権干犯問題の背景には、当時の世界情勢や我が国の世相も深く関わっています。
GHQの当初の思惑からすれば、明治憲法をそのまま残すことは絶対に受けいれられませんでした。彼らによってつくられた憲法で、我が国は経済復興を果たすことができましたが、憲法9条の問題を含めて、今後の我が国は憲法とどう向き合っていけばよいのか…。
歴史を繰り返させないとともに、歴史に学ぶ姿勢も必要になってくるでしょうね。
憲法改正問題
- 黒田先生
こんばんは
青田です。
タイムリーな話題などで、是非、お教えいただきたいのですが、
明治憲法におけつ憲法改正規定というのは
どうなっていたのでしょうか。
また、明治憲法は、憲法改正は、行われたことが
あったのでしょうか。
というのも
今の日本の憲法は、改正が非常に難しく
今度の選挙でも、憲法改正が争点になるだけに
是非、ご教授頂きたく存じます。
青田さんへ
黒田裕樹 明治憲法における改正規定は第73条に記載があり、第1項で「勅命によって議案を帝国議会に提出」したうえで、第2項で「衆議院・貴族院の総議員の3分の2以上の出席→出席議員の3分の2以上の賛成」で議決することになっていました。しかし、現実には一度も改正は為されていません(GHQの圧力による日本国憲法への「改正」を除く)。
ということは
- 黒田先生
こんにちは
青田です。
ということは、軍部大臣現役武官制の部分を
早期の段階で、改正していれば、
日本のその後の運命も少しは、変わっていたかもしれまれないですね。
逆に、今の日本の憲法の憲法9条も
改正しいてれば、
こんなことにならなかったというふうに
ならないことを祈りますが。。。
どちらにしろ、
憲法設立当初と、その後の時代の変化を考えると
憲法とは、時代の変化とともに
改正する必要があることだけは、確かですね。
青田さんへ その2
黒田裕樹 軍部大臣現役武官制は明治憲法ではなく「陸軍省官制及び海軍省官制」で規定されていました。従って明治憲法の改正問題とは無関係です。
なお、軍部大臣現役武官制は明治33(1900)年の第二次山県内閣で規定された後、大正2(1913)年の第一次山本内閣で一旦廃止されました(ただし、軍部大臣に現役以外の武官が選ばれたことはありません)。その後、二・二六事件を受けて昭和11(1936)年の広田内閣の際に復活しています。
とても面白かったです。
学校の教科書の知識だけでは、表立って話すのは恥ずかしいですねw
「明治憲法」が、実はその当時の憲法としてとてもすばらしいものだったということに、とても驚きました。
楽しい講座をありがとうございました。
明日からも期待していますv
国家的重要事項を、政争の道具としてしまったことに、悲劇的な大戦に突っ走ってしまった一つの要因があったんですね。
与野党ですから政治的対立はあるでしょうが、根本的な事に関しては、政治家ならある程度同じはずなのにと思います。
繰り返して欲しくないですが、現在も同じ過ちを繰り返しつつあるような気もします(^^;)
⇒ 努力されているのですね
私の兄弟や甥っ子は、教師が多いです
教師復帰、頑張ってください
応援します~♪
重大な欠陥があっても、20年も掛けて構想を練り制定された憲法をおいそれとは、改定出来るわけもなく、昭和の悲劇である「戦争」という大きな深手を負うことで、日本国憲法へと新たな新法へ改定する事となったわけですか。
改定されるまでの代償は余りに大きかったですね(><)
応援凸
> とても面白かったです。
有難うございます。お気に召していただいて光栄です。
> 学校の教科書の知識だけでは、表立って話すのは恥ずかしいですねw
> 「明治憲法」が、実はその当時の憲法としてとてもすばらしいものだったということに、とても驚きました。
教科書の知識は必要最小限のみですからね。それでも正しければ何の問題もないのですが…。
通常の歴史教育のみならず、様々な知識を持つことは決して無駄ではないと思います。
> 楽しい講座をありがとうございました。
> 明日からも期待していますv
明日からは東京講演の「信長と信玄」が始まります。是非お越し下さい(^o^)丿
残念ながら、現状の歴史教育や公民教育では、なぜかこういう結果になってしまいます(´・ω・`)
通常の解釈による明治憲法の論議がもっと盛り上がればいいのですが…。
> 国家的重要事項を、政争の道具としてしまったことに、悲劇的な大戦に突っ走ってしまった一つの要因があったんですね。
そのとおりです。第二次大戦への参戦、そして敗北に至る道のりは非常に複雑ですが、少なくとも統帥権干犯問題が原因の一つであることは疑いありません。
> 与野党ですから政治的対立はあるでしょうが、根本的な事に関しては、政治家ならある程度同じはずなのにと思います。
> 繰り返して欲しくないですが、現在も同じ過ちを繰り返しつつあるような気もします(^^;)
「政争の具のためなれば何でも良い」「党利党略のためなら国益を損なおうとも一向に構わない」。
これこそいわゆる「いつか来た道」ではないかと思うのですが…。歴史に学ぶことはいくらでもあるはずです。
> 通信教育で教員免許を取得・・・
> ⇒ 努力されているのですね
いえいえ、好きで始めたことですから。
一時でも教師になれて、良かったと実感しています。
> 私の兄弟や甥っ子は、教師が多いです
> 教師復帰、頑張ってください
> 応援します~♪
有難うございます。
今後ともよろしくお願いします。
> 改定されるまでの代償は余りに大きかったですね(><)
我が国では一度制定された憲法は、他の法律と違っておいそれと改正できないようですね。
それが昭和の悲劇を生む原因の一つになりました。ひるがえって現行の憲法はどうでしょうか…。
いくら戦争に負けたからといって
勝手に日本の国の憲法を他国で作っ
ことについては 以前より不満です
> 勝手に日本の国の憲法を他国で作っ
> ことについては 以前より不満です
りらさんのお気持ちももっともだと思います。
独立国でありながら、占領時に「押し付けられた」憲法をいただくことへの不満。
とはいいながらも、60年以上もその憲法を遵守(じゅんしゅ)しているという現実。
日本国憲法を語るには、私自身も更なる理解が不可欠だと感じております。
近代史好きを自称しているのに恥ずかしいなぁ
とりあえず、穴に隠れる代わりにコタツにでも頭を突っ込んでおきましょう
それにしても統帥権干犯問題が拡大する片棒を担いだのが鳩山一郎氏だったとは・・・・・・
現在の民主政権の今までとこれからを考えるに、何か因縁のようなものを感じてしまうのは考えすぎでしょうか
後の時代に災禍を起こすきっかけとなる過ちが同じ血統によって繰り返されないことを願うばかりです
次回からの講義も楽しみにしています!
> 近代史好きを自称しているのに恥ずかしいなぁ
> とりあえず、穴に隠れる代わりにコタツにでも頭を突っ込んでおきましょう
いえいえ、軍部が主張したというのは皆様ご存知でも、政党がその尻馬に乗ったというのは意外と知られていないものです。私も長い間だまされ(?)続けてきましたから。
> それにしても統帥権干犯問題が拡大する片棒を担いだのが鳩山一郎氏だったとは・・・・・・
> 現在の民主政権の今までとこれからを考えるに、何か因縁のようなものを感じてしまうのは考えすぎでしょうか
> 後の時代に災禍を起こすきっかけとなる過ちが同じ血統によって繰り返されないことを願うばかりです
実は私も非常に気になっています。
「歴史は繰り返す」。使い古された言葉ですが、それだけに背筋が寒くなる気もしてきますよね(´・ω・`)
> 次回からの講義も楽しみにしています!
有難うございます(^o^)丿
東京の皆様に大好評だった「信長と信玄」、いよいよ次回から始まります!
帝国憲法についての見解は、私もほぼ同じです。明治維新の元勲が健在だった頃は想像できなかったノーマークを箇所を昭和の軍部が突いた、このノーマーク箇所の教訓は現在も活かすべきでしょう。
もともと天皇機関説にしても、あの昭和天皇が摂政だった頃はご納得されていた制度でした。ところが軍部や世論に流されてしまわれた。皇室の帝王学は代々時の権力のバランスの中で巧く綱渡りをして皇統を守る事ですから、仕方ありませんが。
ただ、一点だけ引っかかる事が。
帝国憲法成立の経緯や内容を高評価する文面の後で植木枝盛が祝いの言葉を残したエピソードを紹介された。
たしかに事実ですが、枝盛に限らず大半の自由民権運動家にとっても憲法と民選議員による国会の設置は、欧米先進国と肩を並べるための悲願でした。ですから概ね歓迎の意を表明しています。
枝盛は単に憲法と国会が日本にできた事を「良い事だ」とコメントしているに過ぎません。
彼は当時から男女同権論者であり、女性解放論者であり、後に衆院議員になってから帝国議会において女性の政治活動参加を認める法案(注・「選挙権」ではない。選挙権まで踏み込むと憲法改正という難事業に着手する羽目となり、民権派議員の足並みが揃わなくなる)を提出して衆院で可決させた人物です。
明治前期、女性は自由民権運動の重要な担い手であり、日本各地の地方選挙も参政権は男子に限定しておらず、民権派が強かった地域では女性参政権は認められており、そうでなかった地域でも男女に関わらず「世帯主」「家長」が投票していました。憲法発布直前の政府条例で民権派勢力を削ぐ目的で女性参政権を奪い、枝盛たちもかなり反発しました。
ですから、内容を評価したとは考えられません。あの紹介の仕方では、帝国憲法の内容まで歓迎したかのように誤解されてしまいます。
また、第1回衆院は民権派が過半数をとっていて、時の政府は天皇の名に於いて強引に解散させ、次ぎの選挙では民権派候補に対しあからさまな妨害工作をしました。中には警官がならず者を引き連れて候補者を演台から引き摺り下ろし袋叩きにして撲殺する事件もあり、民権派の地盤だった高知では内乱状態になりました。
そんな歴史も考慮してください。高知県の護憲派市民にとっては、枝盛たちを弾圧した官憲派を第二次大戦でアメリカが潰してくれた、という認識です。
高知市に自由民権会館という大きな施設があります。民権運動の博物館ですが、見学されたら判ると思いますがあれは事実上植木枝盛記念館です。土佐の護憲派にとっては枝盛は龍馬以上の偉人です。
歴史を一方的に見ることは、どちらの方角であっても大変危険なことであり、歴史教育に携わる立場としては、事実や真実に基づいたうえで、是々非々で対処すべきと考えております。
明治憲法も当然そういう立場にたって考察しており、憲法の素晴らしさを伝えると同時に、マイナス面もきっちりとまとめ上げるのが責務であると自覚しています。
植木枝盛の件、ご紹介下さって有難うございました。文章の一部を修正しておきましたのでご確認ください。なお、帝国議会が産声を上げた当時の首相が藩閥政治を標榜する山縣有朋だったことが、その後の憲政に影響を与えた可能性もあると思っております。
統帥権がこの後の悪夢の元凶だったんですね。
そのためにGHQが新しい憲法を作らせて、何度もダメだしをしたんですね。
もし戦争に勝って統帥権が残ってたら、いまの日本はアフガニスタンやイラクのような状態になってたんでしょうか?
逆に言ったら、戦争に負けて憲法になって良かったんでしょうね。
だけど自衛隊が庁から省に上がって、憲法9条はどうなるんでしょうね。
歴史を繰り返さないといいな・・・。
統帥権については、シビリアンコントロールが可能になるように早めに改正すべきだったのか、あるいは解釈次第で抑制が可能だったのか…。今回は話が大きくなりすぎるので割愛しましたが、統帥権干犯問題の背景には、当時の世界情勢や我が国の世相も深く関わっています。
GHQの当初の思惑からすれば、明治憲法をそのまま残すことは絶対に受けいれられませんでした。彼らによってつくられた憲法で、我が国は経済復興を果たすことができましたが、憲法9条の問題を含めて、今後の我が国は憲法とどう向き合っていけばよいのか…。
歴史を繰り返させないとともに、歴史に学ぶ姿勢も必要になってくるでしょうね。
こんばんは
青田です。
タイムリーな話題などで、是非、お教えいただきたいのですが、
明治憲法におけつ憲法改正規定というのは
どうなっていたのでしょうか。
また、明治憲法は、憲法改正は、行われたことが
あったのでしょうか。
というのも
今の日本の憲法は、改正が非常に難しく
今度の選挙でも、憲法改正が争点になるだけに
是非、ご教授頂きたく存じます。
こんにちは
青田です。
ということは、軍部大臣現役武官制の部分を
早期の段階で、改正していれば、
日本のその後の運命も少しは、変わっていたかもしれまれないですね。
逆に、今の日本の憲法の憲法9条も
改正しいてれば、
こんなことにならなかったというふうに
ならないことを祈りますが。。。
どちらにしろ、
憲法設立当初と、その後の時代の変化を考えると
憲法とは、時代の変化とともに
改正する必要があることだけは、確かですね。
なお、軍部大臣現役武官制は明治33(1900)年の第二次山県内閣で規定された後、大正2(1913)年の第一次山本内閣で一旦廃止されました(ただし、軍部大臣に現役以外の武官が選ばれたことはありません)。その後、二・二六事件を受けて昭和11(1936)年の広田内閣の際に復活しています。