条文を素直に読めば、統帥権(=軍隊を指揮する権利)は天皇のみが有するという規定ですが、実際にはもちろん天皇ご自身が指揮を取られることはなく、議会や国務大臣(=内閣)、裁判所と同様に、陸軍や海軍の責任者が握っていました。
この条文が他と独立して設けられたのには、戦争を決断したり、あるいは終わらせたりするのは政治家の職務ですが、戦争開始後の指揮権は軍人に任せた方がよいであろうという判断からくるものでした。これを「統帥権の独立」といいます。
明治憲法が制定された当時は、明治維新の元勲(げんくん、国家に尽くした大きな功績のある人のこと)であった、いわゆる元老(げんろう)が大きな力を持っているのみならず、西南戦争などの不平士族の反乱から生き残った、経験豊富で精強な軍隊もしっかりした国家観を持っており、統帥権の独立など全く問題になりませんでした。
しかし、時が流れるに従って元老のほとんどが死亡し、また軍隊も経験不足であるうえに頭脳が優秀な人々が多くなったことや、第一次世界大戦後の世界各地で軍縮の動きが活発になり、相対的に軍隊の価値が下がったことで、軍人の不満が次第に大きくなっていきました。
そんな折の昭和5(1930)年にロンドン海軍軍縮会議が行われ、我が国が各国と海軍の補助艦(ほじょかん)の数を制限する協定を結んだことが明らかになると、軍部は「海軍軍令部長の同意を得ないで政府が勝手に軍縮条約を調印した行為は、憲法に定められた統帥権の干犯(=干渉して他者の権利を侵すこと)である」として政府を攻撃しました。




いつも有難うございます。
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イルカ お久しぶりです^^
あ。
そういえば…
ロンドン軍縮会議とワシントン会議って
違いますよねっ!?
↑
友達に聞かれて困りました。。。汗
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なみなみ こんばんは!
前回はややこしい反論に丁寧にお答えいただき、ありがとうございました。
元老が軍部に影響力を持っていた時代は、それほど問題は起こらなかったんだと思います。
でも、最後に残った元老は軍部に影響力を持つことが出来なかった。
そういう状況になったとき、
制度上の欠陥があらわになったのだと思います。
元々、超然主義を標榜する藩閥政治のために作られた憲法の、そこが限界だった、
と思うのですが、いかがでしょう?
イルカさんへ
黒田裕樹 > お久しぶりです^^
お久しぶりです(^^♪
コメント復活ですね!(^o^)丿
> あ。
> そういえば…
> ロンドン軍縮会議とワシントン会議って
> 違いますよねっ!?
> ↑
> 友達に聞かれて困りました。。。汗
ワシントン会議には色々ありますが、ロンドン軍縮会議と紛らわしいのは1922年の会議が有名ですね。
この会議で第一次大戦の戦勝国の利益調整が行われました。
我が国では主力艦の制限を認めたワシントン海軍軍縮条約を結んだほか、中国における権益をアメリカと認め合った石井・ランシング協定が締結されたことが有名です。ただ、長年続いたイギリスとの日英同盟が廃棄されたのは、我が国にとっては残念なことでした。代わりに結んだ日米英仏の四カ国条約は日英同盟に比べると弱く、後の米英との対立につながっていくんですよね(´・ω・`)
なみなみさんへ
黒田裕樹 > こんばんは!
> 前回はややこしい反論に丁寧にお答えいただき、ありがとうございました。
いえいえ、建設的なご質問は大歓迎です。私も勉強になります。
> 元老が軍部に影響力を持っていた時代は、それほど問題は起こらなかったんだと思います。
> でも、最後に残った元老は軍部に影響力を持つことが出来なかった。
> そういう状況になったとき、
> 制度上の欠陥があらわになったのだと思います。
まさに仰るとおりだと思います。我が国は維新の成功を重視するあまり、元老に任せきりだった一面がありますね。
> 元々、超然主義を標榜する藩閥政治のために作られた憲法の、そこが限界だった、
> と思うのですが、いかがでしょう?
憲法そのものは非常に民主的だったと思いますが、議会開設当時は対外戦争が二度も起こるなど我が国を取り巻く環境はまだまだ不安定で、藩閥中心の「強い政府」にならざるを得なかったと思います。大正になってようやく民主政治が実現できるのですが、その間に憲法の制度上に欠陥を補正できなかったことが悔やまれます。
どんなに立派な法律でも、運用次第で国を危うくする。このことは何も戦前に限らず、21世紀の現代でも十分警戒する必要があるでしょう。
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りら 統帥権の独立
なんて初めて知りましたよ
毎日 学生に戻った気分です
明日も楽しみにしています
黒田さん 映画好きですか?
私は大好きです
今日の私のアップはインビクタス
です ノンフィクションです
お時間ある時ご訪問くださいね
りらさんへ
黒田裕樹 現代の我が国では「統帥権」の言葉そのものが珍しくなりましたからね。
平和なのは良いことですが…。
普段は忙しくて映画をなかなか見ることはないのですが、
まずはりらさんのブログで勉強ですね(^o^)丿
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ケンシロウ こんにちは。
遅くなりましたが4年1組の誕生日おめでとうございます。
先生にとって素敵な一年になると良いですね。
ケンシロウさんへ
黒田裕樹 > 遅くなりましたが4年1組の誕生日おめでとうございます。
> 先生にとって素敵な一年になると良いですね。
そういえばようやく存在しない「0組」から脱出したんでしたね(笑)。
ケンシロウさんらしいお言葉、有難うございます(^_^)v
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HANA子 この統帥権云々の問題を持ってきて、明治憲法は軍部の独走を防げなかった欠陥憲法で大日本帝国は非民主的な悪辣国家だった
なんて論陣を張る人や団体もいますが、
実際の所、日清・日露戦争の例を見てみると、きちんとシビリアンコントロールも働いていて、少なくとも軍部の力が強くはあっても、政府が制御できている国家ではあったんですよね
明治が良くて、昭和が総て悪いなんてことは言いませんけど、明治期の日本は独裁国家でも全体主義国家でもなかった・・・
いいかげん「大日本帝国は始まりから終わりまで暗黒国家だった」みたいな極端な与太話はうんざりなところです
.
MAHHYA 軍部の暴走の始まりですね・・・(>_<)
拙ブログで黒田さんのブログを紹介させていただいたところ、コメントをたくさんいただきました(^_^)
やはり、よいものはよい!
紹介のし甲斐がありました!
HANA子さんへ
黒田裕樹 私も同感です。
全体の流れも理解せずに、目の前の出来事だけを見ているから、明治憲法は戦争の原因になった悪法であるという極論になってしまいます。
私が今回統帥権の問題を紹介するのは、憲法に対する疑問に思える無茶な解釈や、憲法そのものに対する欠陥が悲劇を招いたという事実をご理解いただくためであり、決して明治憲法を悪し様に非難するためではありません。
次回(17日)の最終回で、統帥権干犯問題が深刻化した「真の理由」を明らかにすることになります。
MAHHYAさんへ
黒田裕樹 > 軍部の暴走の始まりですね・・・(>_<)
明治憲法の欠陥が軍部の暴走を招いた原因の一つであることは疑いありません。
ただ、その過程には信じがたい「別の暴走」もあったんです。詳しくは今日(17日)の最終回をご覧下さい。
> 拙ブログで黒田さんのブログを紹介させていただいたところ、コメントをたくさんいただきました(^_^)
> やはり、よいものはよい!
> 紹介のし甲斐がありました!
ご紹介下さって有難うございました。コメントが多数寄せられたことは、私も嬉しいですし、MAHHYAさんにもご満足いただけてホッとしております。
18日からの講座に弾みがついた思いがしますね(^o^)丿
管理人のみ閲覧できます
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エリートの危険性
青田です。 黒田先生
こんにちは
青田です。
この『統帥権干犯』の問題は
憲法の問題というよりも、
軍部のエリート集団の体質の問題ですね。
ユダヤの格言で、こういう言葉を思い出しました。
『勉強の出来る馬鹿は、本当の馬鹿よりも馬鹿で、しかも一番、タチが悪い。』
ようするに、勉強は、できるので、憲法の解釈を
自分の都合のイイように解釈する能力はあるわけです。
それにたいして、その当時の政治家も理屈を考えず、便乗しました。
これって、今の日本にも言えるような気がしますが。(高学歴の官僚の言う通りに従っていれば。。)
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、当時の軍部は日清・日露戦争を実際に戦った人材が入れ替わり、頭でっかちの人間が多数を占めるようになったのも大きな原因ですね。
確かに現代はもちろん、いつの時代にもはまりがちな落とし穴だと思います。
あ。
そういえば…
ロンドン軍縮会議とワシントン会議って
違いますよねっ!?
↑
友達に聞かれて困りました。。。汗
前回はややこしい反論に丁寧にお答えいただき、ありがとうございました。
元老が軍部に影響力を持っていた時代は、それほど問題は起こらなかったんだと思います。
でも、最後に残った元老は軍部に影響力を持つことが出来なかった。
そういう状況になったとき、
制度上の欠陥があらわになったのだと思います。
元々、超然主義を標榜する藩閥政治のために作られた憲法の、そこが限界だった、
と思うのですが、いかがでしょう?
お久しぶりです(^^♪
コメント復活ですね!(^o^)丿
> あ。
> そういえば…
> ロンドン軍縮会議とワシントン会議って
> 違いますよねっ!?
> ↑
> 友達に聞かれて困りました。。。汗
ワシントン会議には色々ありますが、ロンドン軍縮会議と紛らわしいのは1922年の会議が有名ですね。
この会議で第一次大戦の戦勝国の利益調整が行われました。
我が国では主力艦の制限を認めたワシントン海軍軍縮条約を結んだほか、中国における権益をアメリカと認め合った石井・ランシング協定が締結されたことが有名です。ただ、長年続いたイギリスとの日英同盟が廃棄されたのは、我が国にとっては残念なことでした。代わりに結んだ日米英仏の四カ国条約は日英同盟に比べると弱く、後の米英との対立につながっていくんですよね(´・ω・`)
> 前回はややこしい反論に丁寧にお答えいただき、ありがとうございました。
いえいえ、建設的なご質問は大歓迎です。私も勉強になります。
> 元老が軍部に影響力を持っていた時代は、それほど問題は起こらなかったんだと思います。
> でも、最後に残った元老は軍部に影響力を持つことが出来なかった。
> そういう状況になったとき、
> 制度上の欠陥があらわになったのだと思います。
まさに仰るとおりだと思います。我が国は維新の成功を重視するあまり、元老に任せきりだった一面がありますね。
> 元々、超然主義を標榜する藩閥政治のために作られた憲法の、そこが限界だった、
> と思うのですが、いかがでしょう?
憲法そのものは非常に民主的だったと思いますが、議会開設当時は対外戦争が二度も起こるなど我が国を取り巻く環境はまだまだ不安定で、藩閥中心の「強い政府」にならざるを得なかったと思います。大正になってようやく民主政治が実現できるのですが、その間に憲法の制度上に欠陥を補正できなかったことが悔やまれます。
どんなに立派な法律でも、運用次第で国を危うくする。このことは何も戦前に限らず、21世紀の現代でも十分警戒する必要があるでしょう。
なんて初めて知りましたよ
毎日 学生に戻った気分です
明日も楽しみにしています
黒田さん 映画好きですか?
私は大好きです
今日の私のアップはインビクタス
です ノンフィクションです
お時間ある時ご訪問くださいね
平和なのは良いことですが…。
普段は忙しくて映画をなかなか見ることはないのですが、
まずはりらさんのブログで勉強ですね(^o^)丿
遅くなりましたが4年1組の誕生日おめでとうございます。
先生にとって素敵な一年になると良いですね。
> 先生にとって素敵な一年になると良いですね。
そういえばようやく存在しない「0組」から脱出したんでしたね(笑)。
ケンシロウさんらしいお言葉、有難うございます(^_^)v
なんて論陣を張る人や団体もいますが、
実際の所、日清・日露戦争の例を見てみると、きちんとシビリアンコントロールも働いていて、少なくとも軍部の力が強くはあっても、政府が制御できている国家ではあったんですよね
明治が良くて、昭和が総て悪いなんてことは言いませんけど、明治期の日本は独裁国家でも全体主義国家でもなかった・・・
いいかげん「大日本帝国は始まりから終わりまで暗黒国家だった」みたいな極端な与太話はうんざりなところです
拙ブログで黒田さんのブログを紹介させていただいたところ、コメントをたくさんいただきました(^_^)
やはり、よいものはよい!
紹介のし甲斐がありました!
全体の流れも理解せずに、目の前の出来事だけを見ているから、明治憲法は戦争の原因になった悪法であるという極論になってしまいます。
私が今回統帥権の問題を紹介するのは、憲法に対する疑問に思える無茶な解釈や、憲法そのものに対する欠陥が悲劇を招いたという事実をご理解いただくためであり、決して明治憲法を悪し様に非難するためではありません。
次回(17日)の最終回で、統帥権干犯問題が深刻化した「真の理由」を明らかにすることになります。
明治憲法の欠陥が軍部の暴走を招いた原因の一つであることは疑いありません。
ただ、その過程には信じがたい「別の暴走」もあったんです。詳しくは今日(17日)の最終回をご覧下さい。
> 拙ブログで黒田さんのブログを紹介させていただいたところ、コメントをたくさんいただきました(^_^)
> やはり、よいものはよい!
> 紹介のし甲斐がありました!
ご紹介下さって有難うございました。コメントが多数寄せられたことは、私も嬉しいですし、MAHHYAさんにもご満足いただけてホッとしております。
18日からの講座に弾みがついた思いがしますね(^o^)丿
こんにちは
青田です。
この『統帥権干犯』の問題は
憲法の問題というよりも、
軍部のエリート集団の体質の問題ですね。
ユダヤの格言で、こういう言葉を思い出しました。
『勉強の出来る馬鹿は、本当の馬鹿よりも馬鹿で、しかも一番、タチが悪い。』
ようするに、勉強は、できるので、憲法の解釈を
自分の都合のイイように解釈する能力はあるわけです。
それにたいして、その当時の政治家も理屈を考えず、便乗しました。
これって、今の日本にも言えるような気がしますが。(高学歴の官僚の言う通りに従っていれば。。)
確かに現代はもちろん、いつの時代にもはまりがちな落とし穴だと思います。