大和朝廷は、皇室の宗教的儀礼を背景として武力や財力を蓄(たくわ)え、遅くとも4世紀半ばまでには国土の多くを統一し、その勢力は関東から九州北部にまで及んだとされています。なお、先述の仁徳天皇のお話は、この頃の時代にあたります。
時代が下って6世紀の末から7世紀の前半にかけては、我が国初の女帝である推古(すいこ)天皇の皇太子となった聖徳太子(しょうとくたいし)が内政あるいは外交において大きな実績を残し、我が国が自主独立の国家となるきっかけをつくりました。
聖徳太子の死後は豪族の蘇我氏(そがし)による横暴が続きましたが、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)や中臣鎌足(なかとみのかまたり)によって645年に蘇我氏が倒されると、我が国史上初めての元号となる「大化(たいか)」を制定するなどの様々な改革が行われました。これらを総称して「大化の改新」といいます。
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