しかし、明治天皇は同年7月30日午前0時43分に、61歳(満年齢59歳)で崩御(ほうぎょ、天皇・皇后・皇太后・太皇太后がお亡くなりになること)されました。陛下の崩御を知らされて絶望の底に叩き落された乃木将軍は、殉死をする決意を固めました。
明治天皇の大喪の儀は大正元(1912)年9月13日に行われることになりましたが、その直前の9月10日、乃木将軍は皇孫殿下に最後のご挨拶(あいさつ)をしました。その際、将軍は裕仁親王に山鹿素行(やまがそこう)の名著である「中朝事実(ちゅうちょうじじつ)」を差し上げ、素晴らしい本であるから熟読されるようにと勧めました。
いつもと違い、ただならぬ気配が漂(ただよ)う乃木将軍の様子に、裕仁親王は「院長閣下(=乃木将軍)はどこかへ行かれるのですか?」と聞かれたそうです。
9月12日の夜、乃木将軍は遺書と辞世を書きました。そして御大葬がしめやかに行われた9月13日、すべての身辺整理を終えた乃木将軍は、御遺体を乗せた御霊轜(ごれいじ、霊柩車のこと)が静かに宮殿を出発する合図の号砲が打たれた午後8時過ぎに、自邸にて妻の静子と共に先帝の後を追って自刃しました。享年64歳(満年齢62歳)でした。
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