連隊長としてあるまじき大失態に絶望した乃木将軍は、もはや死をもってその大罪を償う他はないと言わんばかりに、敵の砲煙弾雨(ほうえんだんう)をものともしない奮闘ぶりを見せ、同年4月に官軍が薩摩軍の熊本城に対する包囲網を打ち砕くと、同月22日に乃木将軍はその功績を称えられて中佐に昇進し、熊本鎮台参謀に任じられました。
連隊旗喪失の件も、西南の役の功績が評価されて無罪となった乃木将軍でしたが、彼の心は暗く沈んでいました。そんなある日、彼はついに人知れず割腹自決を遂げようとしたのですが、同じ熊本鎮台参謀で、長州藩出身者として普段から親しかった児玉源太郎(こだまげんたろう)少佐が気付き、すんでのところで食い止めることに成功しました。
どうにか自決を止めることができた児玉は、乃木将軍に向かって言いました。
「死ぬなら立派に死ね。しかし、貴様が腹を切ったら失った軍旗が出てくるとでもいうのか。もし仮に軍旗が出てきたとしても、その責任はそれで済むのか。武士が過失をしても、腹さえ切ればそれで責任が解除されるというのが、俺たちが学んだ武士道なのか。どうせ死ぬと決めたのならば、過失を償(つぐな)うだけの働きをしてからでも遅くはあるまい。ただ死ぬのは犬死だ」。
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