第一条 大日本帝国ハ万世一系(ばんせいいっけい)ノ天皇之(これ)ヲ統治ス
「天皇が統治する」という字面(じづら)だけを見ると、天皇絶対主義と理解できそうですが、実は「統治」の意味が現代とは異なっています。
「統治ス」は、憲法の原案では「治(シラ)ス」と書かれていました。「治ス」とは「お知りになる=公平に治める」という意味の大和言葉(やまとことば)であり、それを漢語化したのが「統治ス」です。公平に世の中を治めるということは「権力を私有せず、公共のために世の中を治める」という意味であり、従来の天皇のお立場を成文化したものであると解釈できます。
つまり、明治憲法は初めの第一条から「天皇主権」を明確に否定しているのです。




いつも有難うございます。
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りら 明治憲法は初めの第一条から「天皇主権」を明確に否定しているのです。
知らなかったです
びつくりしました
勉強になります
ありがとう
私の今日のアップは伊能忠敬です
ご意見拝借出来れば幸いです
りらさんへ
黒田裕樹 日本国憲法との対比において、明治憲法はなぜか「天皇主権」といわれ続けているのですが、真実は第一条から明確に否定されています。
法律の解釈という作業はあるものの、なぜこのような「誤解」がまかり通っているのでしょうか。
当講座では、明日以降も条文の解釈を通じて明治憲法の真実に迫ってみたいと思います。
> 私の今日のアップは伊能忠敬です
> ご意見拝借出来れば幸いです
有難うございます(^o^)丿
早速訪問させていただきますね。
.
ぴーち こんばんは!
なるほど、明治憲法から
天皇主権を明確に否定しているんですね。そして、現代の憲法の
「天皇は国の国民の象徴である」に
発展、移行して行ったんですね!
大和言葉を漢語化して。。だなんて
日本人はいつも複雑な操作を試みますよね(^^A
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > なるほど、明治憲法から
> 天皇主権を明確に否定しているんですね。そして、現代の憲法の
> 「天皇は国の国民の象徴である」に
> 発展、移行して行ったんですね!
そのとおりです。
現在の象徴天皇制は、戦後になって初めて導入されたわけではなく、我が国の伝統に沿ったかたちで明治憲法にも生かされていたんです。この流れは明日以降も詳しく紹介することになります。
> 大和言葉を漢語化して。。だなんて
> 日本人はいつも複雑な操作を試みますよね(^^A
仰るとおりですね。でも、その繊細さがまた日本人らしいんですよね(^^♪
.
倫清堂 天皇主権が否定されている。これは重要なことです。
いまの学校教育では、
明治憲法=天皇主権=悪
戦後憲法=国民主権=善
という教え方をしており、捏造の事実をもって明治憲法を貶めています。
学者は「統治=主権」と主張しますが、実際は現憲法の「象徴」に近い語彙ですね。
もし条文をそのまま「統ス」としていれば、このような混乱は起きなかったわけで、それに反対した伊藤博文は失敗したと冥界で嘆いていることでしょう。
倫清堂さんへ
黒田裕樹 確かにそういう面が見られますね。
現行の日本国憲法を理解させやすくするためという目的があるのかもしれませんが、少なくとも「ウソ」を教えるべきではないと思いますし、歴史の教師だからといって、こういう公民的な要素を持たないことには生徒の前で恥をかくことになると思います。
幸い私は法律系事務所の勤務経験があるのですぐに間違いに気がつきましたが…。
伊藤博文は全体のバランスや、明治憲法が外国語訳されることを見越して漢語体にしたのかもしれませんね。失敗といえば失敗ですが、意味を曲解されるとは、さすがの伊藤博文も想定外だったと考えられます。
.
HANA子 そういえば憲法制定の主導権を最終的に握ったのはもちろん伊藤博文なのですが、最初期において憲法制定の必要性を論じたのは大久保利通であった・・・という資料があったのを思い出しました
冷たい政略家の側面が強調される大久保卿が欧米回覧の際にビスマルクと出会って“開明的立憲主義”を志したというお話
その辺り、今回のお話とつながる部分があるのかもしれませんね
それにしても、この辺も自分なりに書いてみたいお話です
大久保卿の“開明的立憲主義”を伊藤公が受け継ぎ、その伊藤公が憲法制定を成し遂げて、さらに日本初の政党も作った
うん、やっぱり歴史は面白いです^^
HANA子さんへ
黒田裕樹 大久保利通がもし生きていれば、憲法制定ももっと早かったかもしれませんね。
現実の歴史では暗殺されてしまった大久保利通。しかし、その流れは伊藤博文がしっかりと引き継いでいたんですね。
HANA子さんの書かれる物語に大いに期待したいです(^_^)v
.スタートで
オバrev 統治するという意味が現代と当時では違っていたとは・・・最も重要な第一条のスタートでつまずいていた訳ですね。
野球で例えるなら、打ったバッターが3塁へ向かって走りだしたって感じでしょうか。
そうなると全く解釈が違ってきますね。
昔も天皇は象徴であるという考え方であったと解釈してもいいんでしょうか?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 統治するという意味が現代と当時では違っていたとは・・・最も重要な第一条のスタートでつまずいていた訳ですね。
> 野球で例えるなら、打ったバッターが3塁へ向かって走りだしたって感じでしょうか。
さすがオバrevさん、野球の例えが上手いですね(^_^)v
入り口で間違えていてはどうしようもないです。
> そうなると全く解釈が違ってきますね。
> 昔も天皇は象徴であるという考え方であったと解釈してもいいんでしょうか?
仰るとおりのお考えで差し支えないと私も思います。
象徴という我が国の伝統を受け継いだ憲法であるといえるでしょう。
そして、その流れは今後紹介する他の条文にも活かされています。
.:黒田裕樹さん
りら 伊能忠敬のコメントありがとうございました
コピーしてブログに出させていただきました
.
shana なぬ、統治するの意味の解釈が今と答辞で違うと言うことですか。
なんでしょう、現代人が勝手に勘違いしてるってことですねー。 ま、昔と今じゃ意味が違うってことはよくあるんでしょうけど、こういう憲法解釈はちゃんと授業とかもでやってくれないとな、って思いました。
りらさんへ その2
黒田裕樹 > 伊能忠敬のコメントありがとうございました
> コピーしてブログに出させていただきました
ブログ拝見しました。
拙文を掲載下さって有難うございます。
http://erikamomo.blog47.fc2.com/blog-entry-154.html
shanaさんへ
黒田裕樹 私立入試、お疲れ様でしたm(_ _)m
> なぬ、統治するの意味の解釈が今と当時で違うと言うことですか。
> なんでしょう、現代人が勝手に勘違いしてるってことですねー。 ま、昔と今じゃ意味が違うってことはよくあるんでしょうけど、こういう憲法解釈はちゃんと授業とかもでやってくれないとな、って思いました。
そのとおりです。
当時の公的な憲法解釈書である「憲法義解(けんぽうぎげ)」にも「治(シラ)ス=統治ス」とはっきり書かれています。
特に近代史以降に関しては、歴史教育であっても、法律を教えるのであれば当時の解釈などを頭に入れてからでないと、こういう「勘違い」が起きますね。教師個人の恥で済むのならともかく、shanaさんをはじめとする生徒にまで迷惑をかけることはできません。
知らなかったです
びつくりしました
勉強になります
ありがとう
私の今日のアップは伊能忠敬です
ご意見拝借出来れば幸いです
法律の解釈という作業はあるものの、なぜこのような「誤解」がまかり通っているのでしょうか。
当講座では、明日以降も条文の解釈を通じて明治憲法の真実に迫ってみたいと思います。
> 私の今日のアップは伊能忠敬です
> ご意見拝借出来れば幸いです
有難うございます(^o^)丿
早速訪問させていただきますね。
なるほど、明治憲法から
天皇主権を明確に否定しているんですね。そして、現代の憲法の
「天皇は国の国民の象徴である」に
発展、移行して行ったんですね!
大和言葉を漢語化して。。だなんて
日本人はいつも複雑な操作を試みますよね(^^A
> 天皇主権を明確に否定しているんですね。そして、現代の憲法の
> 「天皇は国の国民の象徴である」に
> 発展、移行して行ったんですね!
そのとおりです。
現在の象徴天皇制は、戦後になって初めて導入されたわけではなく、我が国の伝統に沿ったかたちで明治憲法にも生かされていたんです。この流れは明日以降も詳しく紹介することになります。
> 大和言葉を漢語化して。。だなんて
> 日本人はいつも複雑な操作を試みますよね(^^A
仰るとおりですね。でも、その繊細さがまた日本人らしいんですよね(^^♪
いまの学校教育では、
明治憲法=天皇主権=悪
戦後憲法=国民主権=善
という教え方をしており、捏造の事実をもって明治憲法を貶めています。
学者は「統治=主権」と主張しますが、実際は現憲法の「象徴」に近い語彙ですね。
もし条文をそのまま「統ス」としていれば、このような混乱は起きなかったわけで、それに反対した伊藤博文は失敗したと冥界で嘆いていることでしょう。
現行の日本国憲法を理解させやすくするためという目的があるのかもしれませんが、少なくとも「ウソ」を教えるべきではないと思いますし、歴史の教師だからといって、こういう公民的な要素を持たないことには生徒の前で恥をかくことになると思います。
幸い私は法律系事務所の勤務経験があるのですぐに間違いに気がつきましたが…。
伊藤博文は全体のバランスや、明治憲法が外国語訳されることを見越して漢語体にしたのかもしれませんね。失敗といえば失敗ですが、意味を曲解されるとは、さすがの伊藤博文も想定外だったと考えられます。
冷たい政略家の側面が強調される大久保卿が欧米回覧の際にビスマルクと出会って“開明的立憲主義”を志したというお話
その辺り、今回のお話とつながる部分があるのかもしれませんね
それにしても、この辺も自分なりに書いてみたいお話です
大久保卿の“開明的立憲主義”を伊藤公が受け継ぎ、その伊藤公が憲法制定を成し遂げて、さらに日本初の政党も作った
うん、やっぱり歴史は面白いです^^
現実の歴史では暗殺されてしまった大久保利通。しかし、その流れは伊藤博文がしっかりと引き継いでいたんですね。
HANA子さんの書かれる物語に大いに期待したいです(^_^)v
野球で例えるなら、打ったバッターが3塁へ向かって走りだしたって感じでしょうか。
そうなると全く解釈が違ってきますね。
昔も天皇は象徴であるという考え方であったと解釈してもいいんでしょうか?
> 野球で例えるなら、打ったバッターが3塁へ向かって走りだしたって感じでしょうか。
さすがオバrevさん、野球の例えが上手いですね(^_^)v
入り口で間違えていてはどうしようもないです。
> そうなると全く解釈が違ってきますね。
> 昔も天皇は象徴であるという考え方であったと解釈してもいいんでしょうか?
仰るとおりのお考えで差し支えないと私も思います。
象徴という我が国の伝統を受け継いだ憲法であるといえるでしょう。
そして、その流れは今後紹介する他の条文にも活かされています。
コピーしてブログに出させていただきました
なんでしょう、現代人が勝手に勘違いしてるってことですねー。 ま、昔と今じゃ意味が違うってことはよくあるんでしょうけど、こういう憲法解釈はちゃんと授業とかもでやってくれないとな、って思いました。
> コピーしてブログに出させていただきました
ブログ拝見しました。
拙文を掲載下さって有難うございます。
http://erikamomo.blog47.fc2.com/blog-entry-154.html
> なぬ、統治するの意味の解釈が今と当時で違うと言うことですか。
> なんでしょう、現代人が勝手に勘違いしてるってことですねー。 ま、昔と今じゃ意味が違うってことはよくあるんでしょうけど、こういう憲法解釈はちゃんと授業とかもでやってくれないとな、って思いました。
そのとおりです。
当時の公的な憲法解釈書である「憲法義解(けんぽうぎげ)」にも「治(シラ)ス=統治ス」とはっきり書かれています。
特に近代史以降に関しては、歴史教育であっても、法律を教えるのであれば当時の解釈などを頭に入れてからでないと、こういう「勘違い」が起きますね。教師個人の恥で済むのならともかく、shanaさんをはじめとする生徒にまで迷惑をかけることはできません。