さらに信長を悩ませたのが、いわゆる「三好(みよし)三人衆」といわれた三好氏の勢力が摂津(せっつ、ここでは現在の大阪市付近のこと)で挙兵すると、本願寺(ほんがんじ)が三人衆に味方したという事実でした。つまり、信長は戦国大名の他に、延暦寺や本願寺といった、強大な宗教勢力をも敵に回して戦わなければならなくなったのです。
それにしても、なぜ信長は宗教勢力から「仏敵」とみなされたのでしょうか。実は、その理由には大きな「権益」がありました。
信長は大胆な発想で岐阜などに城下町を建設していきましたが、その際に、当時の常識であった通行税を徴収するための関所や、商売をするために必要な組合、すなわち座を設けませんでした。いわゆる「楽市楽座」の制度を採用したのです。
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