後の世に「信長包囲網」と名付けられた、信長にとって人生最大のピンチが訪れようとしていました。
堺に対する支配権を手に入れて経済力をさらに高めた信長は、次なる領地の目標を越前の朝倉義景と定め、永禄13(1570)年旧暦4月に京を出陣し、敦賀(つるが)の金ヶ崎城(かねがさきじょう)を落とすなど、緒戦で勝利を収めました。
ところが、まさに好事魔多(こうじまおお)し。信長の義理の弟であり、最も信頼を寄せていた武将の一人であった浅井長政が、信長を裏切って北近江から攻め寄せるという驚くべき情報がもたらされたのです。
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