そして、聖徳太子による対等外交の方針は、それまでのチャイナによる冊封(さくほう)体制から脱却するきっかけとなり、我が国に自主独立の精神と独自の文化を生み出すきっかけにもなったのです。その意味においても、外交面において聖徳太子が我が国に残した功績は極めて大きなものがありました。
ところで、例えば「至誠は天に通じる」といったような、我が国の伝統的な思想として、ひたすら低姿勢で相手のことを思いやり、また争いを好まず、話し合いで何事も解決しようとする考えがありますが、そういったやり方は、たとえ国内では通用しても、国外、特に外交問題では全くといっていいほど通用しないということが、聖徳太子と高句麗に対する隋の態度の大きな違いを見ればよく分かります。
我々日本人には、かねてより清廉潔白(せいれんけっぱく、心が清くて私欲がなく後ろ暗いところのないこと)を好む風潮があり、それ自体は非常に重要なことではありますが、対外的には全く通用しないどころか、逆に利用されてしまうという危険性すらあるのです。聖徳太子と高句麗との外交姿勢の大きな違いは、現代に生きる私たちに大きな教訓を残しているといえるでしょう。
なお、遣隋使以後の我が国は、大陸文化の吸収のために朝貢はしても、冊封(さくほう)されない国、という立場をとりました。これを「不臣(ふしん)の朝貢国」といいます。これは、チャイナの冊封体制からの脱却を意味しており、聖徳太子の功績の大きさをうかがわせるともいえます。
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