そんな状況のなかで、無理をして我が国へ攻め込んでもし失敗すれば、国家の存亡にかかわるダメージを与えかねないことが煬帝をためらわせましたし、我が国が高句麗や百済と同盟を結んでいることが、煬帝には何よりも大きな足かせとなっていました。
こうした外交関係のなかで隋が我が国を攻めようとすれば、同盟国である高句麗や百済が黙っていません。それどころか、逆に三国が連合して隋に反撃する可能性も十分に考えられますから、もしそうなれば、いかに大国隋といえども苦しい戦いになることは目に見えていました。
つまり、隋が我が国を攻めようにも、リスクがあまりにも高過ぎるためにできないのです。従って、国書の受け取りを拒否して我が国と敵対関係になるという選択は不可能であり、そうだとすれば、我が国からの国書を黙って受け取るしか手段がありませんが、その行為は我が国が隋と対等外交を結ぶことを事実上認めることを意味していたのです。
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