我が国の内政における思い切った改革に成功した聖徳太子は、いよいよ外交問題の抜本的な解決へと乗り出しましたが、そのための手段として、中国大陸を約300年ぶりに統一した隋(ずい)に対し共同で対抗するために、朝鮮半島の高句麗(こうくり)や百済(くだら)と同盟を結びました。
事前の様々な準備を終えた聖徳太子は、小野妹子(おののいもこ)を使者として、607年に満を持して2回目の遣隋使を送りました。
この頃、隋の皇帝は二代目の煬帝(ようだい)が務めていました。「日本からの使者が来た」との知らせに煬帝が宮殿に現れると、手にした我が国からの国書(こくしょ)を読み始めました。すると、みるみるうちに煬帝の表情が険しくなり、ついには顔を真っ赤にして叫びました。
「何だ、この失礼な物言いは!」
「こんな無礼で野蛮な書は、今後は自分に見せるな!」
煬帝のあまりの怒りぶりに、隋の外交官たちが震え上がった一方で、我が国からの使者である小野妹子は涼しい顔をしていました。
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