なぜなら、東アジアにおいて、周辺の国がチャイナを訪問することが「朝貢(ちょうこう)」とみなされていたからです。ということは、もし天皇陛下がチャイナの都を訪問されれば、それは我が国が「チャイナの傘下(さんか)に入る」ことを意味していました。
にもかかわらず、当時の宮澤喜一(みやざわきいち)首相と加藤紘一(かとうこういち)内閣官房長官は、中華人民共和国側の誘いにあっさりと乗ってしまい、平成4(1992)年に天皇陛下の訪中が実現してしまいました。
中華人民共和国は天皇のご訪問に「感激」して「今後は歴史問題について言及しない」と我が国に約束しましたが、日本を「家来」扱いした「チャイナ」が、そんな口約束を守るはずがありません。
かくして、天皇陛下の訪中をきっかけとして、以後の中華人民共和国は、平成21(2009)年に習近平(しゅうきんぺい)国家副主席(現在は国家主席)が無理やり天皇陛下との会見をねじ込むなど、我が国に対して傲岸不遜(ごうがんふそん、おごりたかぶって人を見下すさま)な姿勢をとるようになってしまったのです。
※下記の映像は12月12日までの掲載分をまとめたものです。
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