そして、同年12月までに「ソビエト社会主義共和国連邦」を構成していた共和国のすべてが独立を宣言したことで、ソ連は崩壊し、新たにロシア共和国などからなる独立国家共同体(=CIS)が誕生したのです。
ソ連崩壊後の新生ロシアでは、1917(大正6)年のロシア革命以前の三色旗(白・青・赤の横長)が復活し、あちらこちらに建てられていたレーニン像が取り壊されたほか、「レニングラード」が「サンクトペテルブルク」に戻るなど、旧名称が復活した都市も存在しました。
かくして、ロシア革命から74年、1922(大正11)年の設立から69年を経て、ソビエト連邦が崩壊したことで、東西の冷戦構造は完全に消滅しました。
ところが、ソ連の崩壊によって、世界中の左翼の学者や評論家がその存在価値を失ったにもかかわらず、我が国においては、むしろ「左傾化」あるいは「赤化」が加速するという皮肉な結果となったのです。その背景には「保守の油断」と「左翼の方針転換」がありました。
※下記の映像は12月12日までの掲載分をまとめたものです。
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