また、第二次世界大戦中にソ連に併合された、エストニア・ラトビア・リトアニアのいわゆる「バルト三国」がそれぞれ独立を主張するようになり、ソ連は軍事介入によって鎮圧を図ったものの、1991(平成3)年3月にはリトアニアが独立を宣言しました。
バルト三国の独立は、ソ連の連邦体制の崩壊を意味していたのみならず、同年7月には、ソ連が主導して設立されたワルシャワ条約機構が解散するなど、ソ連の国家体制がますます揺(ゆ)らぐようになりました。
こうした状況に危機感を強めた、ヤナーエフ副大統領らの共産党保守派は、ゴルバチョフがモスクワを離れた隙(すき)を突いて、1991(平成3)年8月19日にクーデターを起こし、国家非常事態委員会が実権を握りました。
※下記の映像は12月12日までの掲載分をまとめたものです。
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