また、当時のイギリスのサッチャー首相(保守党)は、経済に対する政府の過度の介入を避け、民間の活力に重きを置いた「小さな政府」をめざそうとする「新保守主義」を唱えていましたが、レーガンはサッチャー政権と協調したうえで「強いアメリカ」を標榜(ひょうぼう、主義・主張や立場などを公然と表すこと)して、ソ連に対する強硬姿勢を見せました。
レーガンによる軍備の拡大は、必然的にソ連との軍拡競争をもたらしたため、米ソによる「新冷戦」と呼ばれましたが、果てしない軍拡競争によって、経済が急速に悪化したアメリカは、海外製品の流入などによる国内産業の空洞化や、国家財政と国際収支のいわゆる「双子の赤字」に苦しんだのみならず、世界最大の債務国へと転落してしまいました。
先述した、アメリカによる我が国に対する自動車などの輸出自主規制や、農産物の輸入自由化を強く求めるといった「貿易摩擦」は、こうした背景から生まれたものでした。アメリカからすれば「誰がお前の平和を守ってやっているんだ」という思いがあったのかもしれません。
※下記の映像は12月12日までの掲載分をまとめたものです。
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