ソ連による軍事介入は、中東包囲網の一環であるアフガニスタンを手放さないというソ連の意思を世界に示すとともに、ソ連の武力進攻がこの後もあり得るという厳然たる事実を明らかにしましたが、北方領土におけるソ連の軍事力増強を見せつけられていた我が国は、より一層の強い危機感を抱くようになりました。
また、ソ連の野望が世界に示されたことは、同時に米ソ間の緊張が再び高まったことを意味しており、デタントが崩壊するとともに、翌1980(昭和55)年に行われた、ソ連でのモスクワオリンピックに対して、アメリカや我が国を含む西側諸国の多くが、アフガニスタン侵攻への抗議を理由にボイコットしました。
なお、1980(昭和55)年夏にポーランドで自主独立の労働組合として「連帯」が結成され、政治の民主化を求めましたが、これに対してソ連が軍事介入をほのめかして圧力をかけると、翌1981(昭和56)年にポーランド軍部がクーデターを起こして、ヴァウェンサ(=ワレサ)氏を中心とする「連帯」の幹部が逮捕されるなど、ソ連による脅威は東側諸国にまで容赦なく及びました。
ちなみにヴァウェンサ(=ワレサ)氏は、その後1983(昭和58)年にノーベル平和賞を受賞したほか、民主化後の1990(平成2)年には、選挙によってポーランドの大統領に就任しています。
※下記の映像は12月12日までの掲載分をまとめたものです。
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