しかし、デタントによってアメリカの国防費が低く抑えられたのに対して、ソ連は1970年代にかけて大幅な戦略核兵器の増強を行い、ICBM(大陸間弾道ミサイル)やSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)の保有量がアメリカを上回るようになりました。
戦略核兵器でアメリカを抜き去り、優位に立ったソ連は、返す刀で石油の供給地である中東に包囲網(ほういもう)を仕掛けるため、1977(昭和52)年にはエチオピア、1978(昭和53)年には南イエメンとアフガニスタンでクーデターを起こさせ、親ソ政権を樹立させました。
ソ連の野望は極東にも向けられ、昭和53(1978)年には、我が国固有の領土である北方領土のうち、国後(くなしり)・択捉(えとろふ)・色丹(しこたん)島に一個師団(兵力約12,000人)に相当する地上部隊を再配備したほか、長距離砲や対地攻撃用ヘリコプターまで配備するなど、極東における緊張感が高まりました。
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