こうした努力の結果、第2次石油危機の影響は、かつての第1次石油危機と比べるとそれほど大きいものではなく、危機を乗り切った大平内閣は財政再建をめざし続けましたが、昭和55(1980)年の衆参同時選挙の期間中に、大平首相が死亡しました。
現役首相の急死という非常事態を受け、弔(とむら)い合戦となった選挙戦は、自民党が安定多数を獲得するなど圧勝に終わり、鈴木善幸(すずきぜんこう)が新たに内閣を組織しました。
鈴木内閣は「増税なき財政再建」をめざして第2次臨時行政調査会(=臨調)を発足させたほか、参議院選挙の全国区で「比例代表制」を導入しました。その他、鈴木首相は現職の内閣総理大臣として初めて北方領土や復帰後の沖縄を視察しています。
ところで、この鈴木内閣の時代に、我が国の教育や国益そのものを著しく損ねる出来事が起きてしまったのをご存じでしょうか。いわゆる「教科書誤報事件」のことです。
※下記の映像は11月14日までの掲載分をまとめたものです。
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