また、田中内閣は、一般企業に対して石油・電力の20%削減を要請しましたが、大混乱の中で企業がこぞって原材料を買い占めたこともあって、「物不足」が喧伝(けんでん、盛んに言いふらすこと)されたことに伴い、トイレットペーパーや洗剤などが店頭から消えるなど、国民の間に一時的なパニックが起きました。
物不足がもたらしたパニックの影響を受けて、我が国の消費者物価指数は昭和49(1974)年に20%以上も一気に上昇したことで「狂乱物価」と呼ばれた激しいインフレーションが起きました。
インフレを抑制するために、公定歩合(=一般の銀行に貸すお金にかける利子のこと)が引き上げられましたが、それが企業の設備投資なども同時に抑制する流れにつながったこともあり、昭和49(1974)年の経済成長率は戦後初のマイナス成長(-1.2%)となってしまいました。当時の日本経済は、不況とインフレとが同時進行する「スタグフレーション」を招いたのです。
高度経済成長が終わりを告げたことにより、我が国では、この後「成長の限界」を考慮に入れた「安定成長」が志向されるようになりましたが、それは同時に「低成長時代」の幕開けでもありました。
※下記の映像は11月14日までの掲載分をまとめたものです。
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