黒田知事は、選挙公約でもあった公害規制をはじめ、老人医療無料化や「十五の春は泣かせない」というセリフで有名な府立高等学校の増設など、低所得者層を重視した福祉政策を次々と行いました。
その後、昭和50(1975)年の知事選で共産党のみの推薦を受けた黒田知事は、対立候補に約45万票の大差をつけて再選を果たしましたが、史上初の日本共産党単独与党の知事が誕生したことは、当時の衝撃的なニュースとなり、UPI通信が「日本共産党が史上初めて自らのガバナー(知事)を持った」と世界に報じたほどでした。
しかし、福祉重視の政策などによって、他の革新自治体と同様に財政赤字が拡大したこともあり、次の昭和54(1979)年の知事選では、対立候補に12万票の差で敗れ去っています。
※下記の映像は10月29日までの掲載分をまとめたものです。
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