そんな折の昭和43(1968)年に、東京大学医学部や日本大学で紛争が起きると、これらを発端(ほったん)として全国で激しい大学紛争(または「大学闘争」)が起きました。特に東京大学では、昭和44(1969)年1月に安田講堂に立てこもった全学共闘会議(=全共闘)などの学生が、警視庁の機動隊と衝突(しょうとつ)した「安田講堂事件」が発生しました。
その他にも、過激派活動家の「新左翼」らが、昭和44(1969)年10月21日の「国際反戦デー」で大衆行動を繰(く)り広げたり、昭和45(1970)年1月には、赤軍派が日本航空「よど号」をハイジャックして北朝鮮への亡命事件を起こしたり(これを「よど号事件」といいます)しました。
しかし、昭和45(1970)年6月に新安保条約が自動延長されると、反安保運動が急激に衰退しはじめたことで、過激派は次第に追いつめられ、昭和47(1972)年に「浅間山荘事件」を起こすと、その力を失っていきました。
当時は高度経済成長によって日本国全体が豊かになってきていたことから、労働運動活動が低調化したほか、革新政党への支持が伸び悩んだことで、自民党による保守長期政権が続いていったのです。
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