佐藤首相は、沖縄に関して「施政権返還」と「基地使用」とを分離し、在米基地を残した状態でのいわゆる「分離返還」で、ニクソン大統領と合意したのです。その後、沖縄では昭和45(1970)年に国政参加選挙が実現すると、翌昭和46(1971)年には「沖縄返還協定」が調印され、昭和47(1972)年5月15日に、ついに沖縄県が日本国に復帰しました。
現在、沖縄には占領当時の米軍基地がそのまま残されたことが大きな問題とされていますが、米軍基地そのものは、東京の横田や山口の岩国など、我が国の他の地域にも存在しています。
ところで、佐藤首相による沖縄返還交渉が軌道に乗った頃に、内地(=本土)より日本教職員組合(=日教組)や社会党などが、多数のオルグ団(オルグとは「団体が組織拡大のために人を勧誘して構成員にすること」)を沖縄に上陸させて組織固めを行ったことで、政治対立が激化しましたが、それらが現在の沖縄にも少なからず影響を与えているのではないかという声もあります。
なお、佐藤氏は、日韓基本条約の締結や沖縄返還の実現などによるアジアの平和への貢献、さらには「(核兵器を)もたず・つくらず・もちこませず」の「非核三原則」の提唱といった実績が認められ、首相退任後の昭和49(1974)年にノーベル平和賞を受賞しています。
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