乱の後、後鳥羽上皇と子の土御門上皇(つちみかどじょうこう)、ならびに順徳上皇(じゅんとくじょうこう)は、北条氏によってそれぞれ隠岐(おき)、土佐(とさ)、佐渡(さど)へと流されました。皇族が武士によって処罰を受けるのは無論初めてのことであり、朝廷は大きな衝撃(しょうげき)を受けました。また順徳上皇の子で4歳の仲恭天皇(ちゅうきょうてんのう)は、わずか81日で天皇を退位させられ、代わりに後堀河天皇(ごほりかわてんのう)が第86代天皇として即位されました。
ちなみに、在位期間の短かった仲恭天皇は長い間ご即位が認められず、九条廃帝(くじょうはいてい)と呼ばれ続けました。仲恭天皇と追号されたのは明治になってからのことです。また、後堀河天皇はご即位時に10歳と若かったため、父で出家されていた行助法親王(ぎょうじょほうしんのう)が還俗(げんぞく、一度出家した者がもとの俗人に戻ること)されて上皇となられ、院政を行われました。「天皇ご即位の経験のない上皇」は前代未聞(ぜんだいみもん)のことです。なお、上皇は崩御後に後高倉院(ごたかくらいん)と追号されています。
幕府は、乱後の京都に六波羅探題(ろくはらたんだい)を置き、朝廷を監視するとともに西国の御家人の裁判や軍事などの統轄(とうかつ、多くの人や機関を一つにまとめて管轄すること)にあたらせる一方、上皇の味方をした公家や武士の所領の3,000余ヶ所を没収し、戦功のあった御家人らをその地の地頭に任命しました。
なお、乱後の地頭は新たな給分(きゅうぶん、給付される領地や米、銭などのこと)を定めた新補率法(しんぽりっぽう)に基づく新補地頭(しんぽじとう)と呼ばれ、従来の地頭は本補地頭(ほんぽじとう)と呼ばれました。これらによって、従来は東国が中心だった幕府の勢力範囲は畿内(きない)や西国にも及び、また幕府が朝廷よりも優位に立つことで、皇位の継承や朝廷の政治にもかかわるようになりました。




いつも有難うございます。
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馬人 うーん。天皇やら上皇やら、同一人物なのに名前が変わるのが覚えるのに一苦労ですw
行助法親王が還俗→白河上皇でしたっけ?
確か院政は白河上皇だったような…。
4歳でも天皇になれるんですね!
授業では歴史人物の年齢など公開していないので分かりませんでした…^^;
.
ぴーち こんばんは!
この頃は、前代未聞の出来事が
多発していたのですね~。
一度出家したものが、元へ戻ることを環俗と言うのは、存じませんでした!(@@
またまた、勉強になりましたm(_)m
応援です!凸
.
k65.y こんばんわ。
いつも仕事の合間とかに「ふむふむ。」と勉強させて頂いてます。
馬人さんへ
黒田裕樹 > うーん。天皇やら上皇やら、同一人物なのに名前が変わるのが覚えるのに一苦労ですw
> 行助法親王が還俗→白河上皇でしたっけ?
> 確か院政は白河上皇だったような…。
確かに天皇→上皇→法皇という流れはややこしいかもしれませんね(^^ゞ
行助法親王は、本文のとおり「後高倉院」と呼ばれておられます。
院政を開始されたのは白河上皇であっていますよ。平安時代後期ですね。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-293.html
> 4歳でも天皇になれるんですね!
> 授業では歴史人物の年齢など公開していないので分かりませんでした…^^;
今回の場合は、順徳上皇が承久の乱に参加されやすいように、子の仲恭天皇に譲位されたという説がありますね。いずれにせよ、天皇ご即位に年齢は関係なくなっている時代でもありました。
歴史人物の年齢を考慮した授業の方が分かりやすいと思いますよ(^^♪
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > この頃は、前代未聞の出来事が
> 多発していたのですね~。
歴史の転換期の頃は、得てして「前代未聞」の出来事が起こりやすいものですね。
そして、それが前例となって歴史が繰り返されていくことになります。
> 一度出家したものが、元へ戻ることを環俗と言うのは、存じませんでした!(@@
> またまた、勉強になりましたm(_)m
有難うございます。還俗(げんぞく)という言葉は、これからも歴史上に出てくることがありますので、ご記憶されて損はないと思いますよ(^_^)v
k65.yさんへ
黒田裕樹 いつもご訪問くださって有難うございます。
お仕事がお忙しいとは存じますが、今後ともよろしくお願いします。
行助法親王が還俗→白河上皇でしたっけ?
確か院政は白河上皇だったような…。
4歳でも天皇になれるんですね!
授業では歴史人物の年齢など公開していないので分かりませんでした…^^;
この頃は、前代未聞の出来事が
多発していたのですね~。
一度出家したものが、元へ戻ることを環俗と言うのは、存じませんでした!(@@
またまた、勉強になりましたm(_)m
応援です!凸
いつも仕事の合間とかに「ふむふむ。」と勉強させて頂いてます。
> 行助法親王が還俗→白河上皇でしたっけ?
> 確か院政は白河上皇だったような…。
確かに天皇→上皇→法皇という流れはややこしいかもしれませんね(^^ゞ
行助法親王は、本文のとおり「後高倉院」と呼ばれておられます。
院政を開始されたのは白河上皇であっていますよ。平安時代後期ですね。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-293.html
> 4歳でも天皇になれるんですね!
> 授業では歴史人物の年齢など公開していないので分かりませんでした…^^;
今回の場合は、順徳上皇が承久の乱に参加されやすいように、子の仲恭天皇に譲位されたという説がありますね。いずれにせよ、天皇ご即位に年齢は関係なくなっている時代でもありました。
歴史人物の年齢を考慮した授業の方が分かりやすいと思いますよ(^^♪
> 多発していたのですね~。
歴史の転換期の頃は、得てして「前代未聞」の出来事が起こりやすいものですね。
そして、それが前例となって歴史が繰り返されていくことになります。
> 一度出家したものが、元へ戻ることを環俗と言うのは、存じませんでした!(@@
> またまた、勉強になりましたm(_)m
有難うございます。還俗(げんぞく)という言葉は、これからも歴史上に出てくることがありますので、ご記憶されて損はないと思いますよ(^_^)v
お仕事がお忙しいとは存じますが、今後ともよろしくお願いします。