その後、鳩山一郎が憲法改正を視野に内閣を組織すると、総選挙直前の昭和30(1955)年1月に左右両派がそれぞれ党大会を開き、改憲阻止を名目として結束しました。そして、両派を含む反対派が衆議院で3分の1以上の勢力を擁(よう)したことを受けて、同年10月に党大会を開いて再統一を果たしたのです。
社会党の一連の流れに危機感を募(つの)らせた保守政党の日本民主党と自由党は、同年11月に「保守合同」によって「自由民主党」を結成し、以後は衆参両院で3分の2近くを占める自由民主党が、社会党を中心とする野党と対立するという構図が出来上がりました。これを「55年体制」といいます。
55年体制は、その後も「過半数の議席を得た自由民主党と、それ以外の社会党などの野党」という構図で40年近くも続き、与党となった自由民主党(=自民党)が昭和30年代以降の我が国の政治を担(にな)うこととなりました。
※下記の映像は10月15日までの掲載分をまとめたものです。
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