自由党総裁でもあった吉田の後を受けて首相になったのは、改進党と自由党の一部が結成して誕生した日本民主党の総裁を務めていた鳩山一郎(はとやまいちろう)でした。鳩山内閣は、自主憲法の制定と自主外交による領土回復、自衛軍の創設などを唱え、自主独立路線を基本として翌昭和30(1955)年2月に行われた衆議院総選挙に臨みました。
しかし、総選挙では、鳩山率いる日本民主党が第一党となり、第二次鳩山内閣が成立したものの、憲法改正や自主防衛に反対する革新勢力が衆議院全体の3分の1以上を占めたため、念願だった憲法改正は事実上不可能となってしまいました。
なぜなら、日本国憲法第96条によって、憲法改正のためには衆議院・参議院でそれぞれ総議員の3分の2以上の賛成で発議し、さらに国民投票で過半数の賛成を得なければならないからです。
結果的に「改憲阻止」に成功した革新勢力でしたが、それまでの流れは決して一筋縄ではありませんでした。
※下記の映像は10月15日までの掲載分をまとめたものです。
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