昭和27(1952)年には石川県で「内灘(うちなだ)事件」が、昭和30(1955)年には東京都立川市で「砂川事件」が発生していますが、事件の背景には地元民の反発のみならず、日本共産党や総評あるいは全日本学生自治会総連合(=全学連)の支援があったとされています。
また、1954(昭和29)年にアメリカがビキニ環礁(かんしょう)で水爆実験を行った際に、我が国の漁船である第五福竜丸が放射性物質(=死の灰)を浴びて死亡者が出た事件(これを「第五福竜丸事件」といいます)をきっかけに「原水爆禁止運動」が広がり、翌昭和30(1955)年には第一回原水爆禁止世界大会が広島で行われました。
なお、第五福竜丸事件で乗組員が死亡したのは、放射能による被曝(ひばく)ではなく、売血輸血による肝炎ウイルス感染であったという説もあります。
※下記の映像は10月3日までの掲載分をまとめたものです。
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