当時のコメの重要な供給地であった台湾や朝鮮を失った我が国は、徴兵や徴用による農家の労働力不足や生産資材の不足などによって、戦時中から続いていた食糧難を悪化させたのみならず、戦争が終結した昭和20(1945)年の記録的な凶作が拍車をかけました。
政府は占領軍に食糧の援助を求めましたが、日本に経済的余力を持たせることを危険と考えた占領軍が、当初は国民の最低限の暮らしすら維持不可能な程度の物資しか配給しませんでした。
こういった事情によって、政府によるコメやサツマイモ・トウモロコシなどの代用食の遅配・欠配が相次いだことから、多くの人々が食糧を求めて、戦後の混乱の中で主要都市の駅周辺の焼け跡で開かれていた「闇市(やみいち)」へ出かけたり、農村への買出しに向かったりして飢えをしのぎました。
※下記の映像は8月13日までの掲載分をまとめたものです。
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