昭和天皇の無私のご行動によって、皇室を中心とする我が国の国体(=国家としての体制のこと)を護ることはできました。終戦の直前、昭和天皇による2度目のご聖断が下った際に、慟哭(どうこく)した阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣に対して、陛下がお優しく「私には国体を護れる確信がある」と仰られたとおりとなったのです。
もしマッカーサーとのご会見の際に、昭和天皇が他の一般的な国家元首のように、命乞いをする哀れな君主であったとすれば、その後の我が国の運命はどうなったでしょうか。考えただけでも私は寒気がしてきます。
ただし、我が国が皇室中心の国体を護れた一方で、GHQによる日本の占領統治は過酷を極めたものとなっていきました。
占領軍による数々の「日本解体」あるいは「洗脳」は、その後の我が国における「自虐(じぎゃく)史観」を決定づけるものであったといえますが、その具体的な内容はどのようなものであったのでしょうか。
※下記の映像は6月26日までの掲載分をまとめたものです。
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