結局、我が国は朝鮮に対して、保護国の頃に当時の費用で1億円(現在の価値で約3兆円)を支援したのみならず、併合時代の35年間においても、約20億円(現在の価値で約60兆円)を援助し続けました。
この他にも、朝鮮半島への鉄道建設に当時で6,600万円の巨費をかけるなど、軍事関連を除く民間資産は、第二次世界大戦後に我が国を占領統治したGHQ(=連合国軍最高司令官総司令部)の調査で53億ドル(現在の価値で約15兆円)にものぼっています。
我が国が朝鮮にもたらした資産は、モノばかりではありません。我が国は併合当時100校に過ぎなかった朝鮮半島における小学校を、5,000校にまで増やしました。また帝国大学を朝鮮の京城(けいじょう、現在のソウル)に設置しましたが、これは大阪や名古屋よりも早かったのです。
要するに、我が国は毎年のように朝鮮半島に対して多額の資金を投入していましたが、その一方で、本土への予算が十分に行きわたらなかったことが、恐慌や飢饉(ききん)が連続して発生したことも重なって、昭和初期を中心に我が国で不穏(ふおん)な動きが相次いだ遠因になったとも考えられています。
※下記の映像は4月5日までの掲載分をまとめたものです。
(※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」が始まりました。詳しくは下記のバナーをご覧ください)
※平成28年4月13日(水)創刊!無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。




いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。