しかしながら、清国からロシアへと事大主義に走る韓国をそのままの状態にしておけば、またいつ「第二、第三のロシア」が出現して、韓国の独立と我が国の安全保障が脅(おびや)かされるか分かったものではありません。
そこで、我が国は韓国の独立を保ちながら、軍事権や外交権などを握ることによって、韓国を「保護国」とする方針を固めました。我が国と韓国は、日露戦争中の明治37(1904)年に、日本による韓国防衛の義務などを明記した日韓議定書(ぎていしょ)を結ぶと、同じ年に、韓国政府の財政や外交の顧問に日本政府の推薦者を任命するとした第一次日韓協約を結びました。
日露戦争終結後の明治38(1905)年には第二次日韓協約(=日韓保護条約)を結び、韓国の外交権を我が国が持つことで、韓国は事実上我が国の保護国となりました。また、条約に基づいて首都漢城(かんじょう、現在のソウル)に統監府(とうかんふ)を置き、伊藤博文が初代統監となりました。
※下記の映像は4月5日までの掲載分をまとめたものです。
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