ハリマンの申し出に対し、アメリカとの関係を重視した元老の井上馨(いのうえかおる)や伊藤博文、あるいは首相の桂太郎(かつらたろう)らが賛同しましたが、外務大臣の小村寿太郎が猛反対したことで、実現しませんでした。
ポーツマス条約を実際に締結した小村からすれば、多くの血を流して手に入れた満州の権益を、いかに共有とはいえ、むざむざとアメリカに譲り渡すことが我慢できなかったのかもしれません。
しかし、満州での権益を得られなかったアメリカは、この件を境に我が国への態度を硬化させ、翌1906(明治39)年にはサンフランシスコで日本人学童排斥(はいせき)事件が起きるなど、日本からの移民に対して厳しい政策を行うようになりました。
かくして、南満州鉄道の共同経営を巡(めぐ)って一度こじれた日米関係は、この後も好転することなく、日露戦争終結から36年後の昭和16(1941)年には、ついに両国が直接戦う運命となってしまうのです。悲しいかな、これも厳然たる「歴史の大きな流れ」なんですよね。
※下記の映像は4月5日までの掲載分をまとめたものです。
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