重農主義だけではもはや幕府政治が機能しないということを悟(さと)った意次は、やがて政治の実権を握ると、現実的な重商主義(じゅうしょうしゅぎ)に政治の姿勢を切り替えるとともに、開明的な政策を次々と実行していったのでした。
意次がまず行ったのは、一年間の予算の編成でした。現代では当たり前の予算制度ですが、江戸幕府においては、それまでは必要な際に幕府の金蔵(かねぐら)から金銀を引き出していたのです。このようないわゆるドンブリ勘定(かんじょう)を続けていては、いつまで経っても経費削減はできません。そこで、意次の時代になって初めて予算制度が成立したのですが、費用の割合はどうだったのでしょうか。
意次が自己の保身を図ろうとすれば、当然将軍家や大奥の費用を多めに計上すると思いますよね。ところが実際は全く逆であって、年を経るごとに減らされていきました。その一方で、町奉行などの民政に関する費用は据(す)え置かれていますから、結果としてかなりの経費削減に成功していることになります。
本当に幕府のためになる政治を目指すのであれば、将軍家や大奥のご機嫌を取ることなく、思い切った手段を実行する―。意次の 「政治家」としての優秀さがうかがえる政策の一つですね。




いつも有難うございます。
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晴雨堂ミカエル 私が意次を評価する点がまさにこれです。賄賂にまみれて腐敗政治をやっていたなんて、とんでもない事です。
現代の政治に例えたら、松平定信は中国四人組の文化大革命のような暴挙でしょう。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 > 私が意次を評価する点がまさにこれです。賄賂にまみれて腐敗政治をやっていたなんて、とんでもない事です。
仰るとおりです。物事の表面だけをとらえて非難するのではなく、実績を見極めたうえで評価をしてほしいものです。
> 現代の政治に例えたら、松平定信は中国四人組の文化大革命のような暴挙でしょう。
なかなか厳しいご意見ですね。
私も似たような評価を後日下すことになると思います。
.どこで学んだ?
オバrev なんと、意次は1年間の予算編成を初めてとりいれたんですか。
しかも、将軍家や大奥の予算を削減していったなんて。
重商主義や規制緩和などもいったい、いつ、どこでこういう経済学を学んだんでしょうか。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > なんと、意次は1年間の予算編成を初めてとりいれたんですか。
> しかも、将軍家や大奥の予算を削減していったなんて。
これも知られていない事実ですね。
自分の予算を減らされても意次を出世させる、家治の太っ腹も凄いです。
> 重商主義や規制緩和などもいったい、いつ、どこでこういう経済学を学んだんでしょうか。
重農主義の限界を悟った頃から、独学で学んでいったのかもしれませんね。
あるいは、もともと頭脳のある人と思われますから、負の教訓から逆算して身につけたのかもしれません。
.
こえめ なんとなんと!
人民のためにいいことをしていたんですねっ。
そういう政策を打ち出して、将軍様に認めさせちゃうなんて、
凄腕ですねー。
.
スポーツ猫 こんばんわお邪魔します。
1年間の予算案を組んだのも
田沼意次が最初だったんですね
今日もまたひとつ勉強させて貰いました。
そしてこの田沼意次講座を拝見していて
私の中の田沼意次の印象がかなり変わりましたね。
田沼意次は現代の歴史教育の方針で
誤解された一人かもしれないと考えるようになりましたね。
こえめさんへ
黒田裕樹 > なんとなんと!
> 人民のためにいいことをしていたんですねっ。
> そういう政策を打ち出して、将軍様に認めさせちゃうなんて、
> 凄腕ですねー。
そのとおりですね。
民政部門は据え置きにして、一番カネがかかってしかも削減しにくい「奥向き」の費用を容赦なく下げ、しかもそれを将軍に認めさせる。
現代の政治家にも聞かせてやりたいエピソードですね(^_^)v
スポーツ猫さんへ
黒田裕樹 > 1年間の予算案を組んだのも
> 田沼意次が最初だったんですね
> 今日もまたひとつ勉強させて貰いました。
おカネが有り余っていれば、予算を組む必要はありません。
しかしこの頃の幕府は緊縮財政。にもかかわらず意次の時代まで予算の概念がないのがむしろ不思議ですよね。
意次の実行力の高さがうかがえるエピソードでもあります。
> そしてこの田沼意次講座を拝見していて
> 私の中の田沼意次の印象がかなり変わりましたね。
> 田沼意次は現代の歴史教育の方針で
> 誤解された一人かもしれないと考えるようになりましたね。
そうですね。
実は意次は江戸時代から嫌われていました。
その理由については今後紹介します。
「意次の印象」については、次回以降でさらに変化するかもしれませんよ(^^♪
.
紗那 なんとなく学校の先生の話とか授業内容でいい人っぽいイメージを漠然と抱いてましたが、ここまで先見の明を持っている人とは思いませんでした!
というより、予算を組んでいないことのほうが驚きです。今まで何をやってたんでしょうね?時の将軍様たちは。
紗那さんへ
黒田裕樹 > なんとなく学校の先生の話とか授業内容でいい人っぽいイメージを漠然と抱いてましたが、ここまで先見の明を持っている人とは思いませんでした!
そうですね。でもこれはまだほんの序の口ですよ(笑)。
これから意次の「本当の政治」が始まります(^o^)丿
> というより、予算を組んでいないことのほうが驚きです。今まで何をやってたんでしょうね?時の将軍様たちは。
綱吉や吉宗も予算という概念までには気がつかなかったというところでしょうか。気がついていたとしても、意次のような本格的なものにまでは至っていなかったのかもしれませんね。
現代の政治に例えたら、松平定信は中国四人組の文化大革命のような暴挙でしょう。
仰るとおりです。物事の表面だけをとらえて非難するのではなく、実績を見極めたうえで評価をしてほしいものです。
> 現代の政治に例えたら、松平定信は中国四人組の文化大革命のような暴挙でしょう。
なかなか厳しいご意見ですね。
私も似たような評価を後日下すことになると思います。
しかも、将軍家や大奥の予算を削減していったなんて。
重商主義や規制緩和などもいったい、いつ、どこでこういう経済学を学んだんでしょうか。
> しかも、将軍家や大奥の予算を削減していったなんて。
これも知られていない事実ですね。
自分の予算を減らされても意次を出世させる、家治の太っ腹も凄いです。
> 重商主義や規制緩和などもいったい、いつ、どこでこういう経済学を学んだんでしょうか。
重農主義の限界を悟った頃から、独学で学んでいったのかもしれませんね。
あるいは、もともと頭脳のある人と思われますから、負の教訓から逆算して身につけたのかもしれません。
人民のためにいいことをしていたんですねっ。
そういう政策を打ち出して、将軍様に認めさせちゃうなんて、
凄腕ですねー。
1年間の予算案を組んだのも
田沼意次が最初だったんですね
今日もまたひとつ勉強させて貰いました。
そしてこの田沼意次講座を拝見していて
私の中の田沼意次の印象がかなり変わりましたね。
田沼意次は現代の歴史教育の方針で
誤解された一人かもしれないと考えるようになりましたね。
> 人民のためにいいことをしていたんですねっ。
> そういう政策を打ち出して、将軍様に認めさせちゃうなんて、
> 凄腕ですねー。
そのとおりですね。
民政部門は据え置きにして、一番カネがかかってしかも削減しにくい「奥向き」の費用を容赦なく下げ、しかもそれを将軍に認めさせる。
現代の政治家にも聞かせてやりたいエピソードですね(^_^)v
> 田沼意次が最初だったんですね
> 今日もまたひとつ勉強させて貰いました。
おカネが有り余っていれば、予算を組む必要はありません。
しかしこの頃の幕府は緊縮財政。にもかかわらず意次の時代まで予算の概念がないのがむしろ不思議ですよね。
意次の実行力の高さがうかがえるエピソードでもあります。
> そしてこの田沼意次講座を拝見していて
> 私の中の田沼意次の印象がかなり変わりましたね。
> 田沼意次は現代の歴史教育の方針で
> 誤解された一人かもしれないと考えるようになりましたね。
そうですね。
実は意次は江戸時代から嫌われていました。
その理由については今後紹介します。
「意次の印象」については、次回以降でさらに変化するかもしれませんよ(^^♪
というより、予算を組んでいないことのほうが驚きです。今まで何をやってたんでしょうね?時の将軍様たちは。
そうですね。でもこれはまだほんの序の口ですよ(笑)。
これから意次の「本当の政治」が始まります(^o^)丿
> というより、予算を組んでいないことのほうが驚きです。今まで何をやってたんでしょうね?時の将軍様たちは。
綱吉や吉宗も予算という概念までには気がつかなかったというところでしょうか。気がついていたとしても、意次のような本格的なものにまでは至っていなかったのかもしれませんね。