日露戦争での勝利は、結果として我が国の国際的地位を高めることにつながりましたが、それを裏づけるかのように、明治38(1905)年にアメリカとの間で桂・タフト協定が結ばれ、アメリカのフィリピンにおける指導権と、日本の韓国における指導権をそれぞれ承認しました。
また、同じ明治38(1905)年には日英同盟が改定され、イギリスのインドに対する支配権と引き換えに、我が国の韓国への指導権をイギリスが承認しました。この他、ロシアと同盟していたフランスとの関係も良好なものとなり、戦争を経験したロシア自身との国交も修復されました。
我が国とロシアとは、明治40(1907)年から大正5(1916)年まで四次にわたって日露協約を結び、韓国における日本の権益をロシアが承認したり、満州や内蒙古(ないもうこ)の両国の勢力圏を確認しあったりするなど、お互いの利害関係を調整しました。
このように、日露戦争後に良化したと思えた我が国をめぐる国際関係でしたが、やがて利害の調整に失敗した国との関係が悪化していきました。それはアメリカのことです。
※下記の映像は4月5日までの掲載分をまとめたものです。
(※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」が始まりました。詳しくは下記のバナーをご覧ください)
※平成28年4月13日(水)創刊!無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。




いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。