たとえ満州はロシアの支配を許したとしても、朝鮮半島における安全保障だけは死守したい、という我が国にとっての苦肉の妥協案でしたが、国力や軍事力に勝るロシアが承知するはずもありません。
そんな我が国にとって、大いなる希望の光となったのが日英同盟でした。同盟国であるイギリスがロシアやその他のヨーロッパ諸国に圧力をかけてくれれば、ひょっとしたらロシアに勝てる糸口が見つかるかもしれません。
折しも国内では、社会主義者の幸徳秋水(こうとくしゅうすい)や、キリスト教徒の内村鑑三らがそれぞれの立場から非戦論を唱えた一方で、対露同志会を中心に主戦論が高まり、国民の世論は次第に開戦へと傾いていきました。
ロシアによるこれ以上の南下政策を何としても止めなければ、我が国の未来がないことを悟(さと)った政府は外交交渉をあきらめ、シベリア鉄道の全通が迫った明治37(1904)年2月に、両国がそれぞれ宣戦布告し、ついに日露戦争が始まりました。
※下記の映像は3月25日までの掲載分をまとめたものです。
(※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」が始まりました。詳しくは下記のバナーをご覧ください)
※平成28年4月13日(水)創刊!無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。




いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。