さて、北清事変をきっかけとして、ロシアがドサクサに紛れて満州全域を完全に占領し、我が国への圧力をますます強めるようになりましたが、その一方で、我が国は国際社会から大いに認められるようになりました。
我が国の評価が高まった背景には、日本軍が事変の際に連合軍の先頭に立って勇敢に戦っただけでなく、北京占領後に、他国の軍隊が当然のように略奪(りゃくだつ)や暴行を繰り広げた中で、我が国の軍隊だけが略奪行為を一切行わなかったという事実がありました。
加えて、先述のように、救援軍が到着するまでの間に日本人が中心となって義勇軍を形成し、孤軍奮闘(こぐんふんとう)のうえ持ちこたえられたという現実も、他国に対する我が国の信頼を高めました。
それまでアジアのちっぽけな有色人種の国に過ぎないと思われていた日本が、抜群の規律の正しさや勇敢さを見せたことは、列強諸国をして「日本は同盟相手として信頼に値(あたい)する」と評価せしめるとともに、やがてロシアとの決戦を覚悟することとなる我が国に「強力な援軍」が出現する流れをもたらしたのです。
※下記の映像は3月15日までの掲載分をまとめたものです。
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