我が国は、やむなく三国からの要求を受けいれ、賠償金3,000万両(テール、当時の日本円で約4,500万円)と引き換えに、遼東半島を清国へ返還しました。
ロシアの横暴ともいえる仕打ちに対して、当時の国民の怒りは頂点に達し、今は辛抱するとしても、いつの日か必ずロシアへの復讐を果たそうとする「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」が合言葉となりましたが、これは民間からの動きであり、ロシアなどを刺激しないため、政府はむしろこの語の使用を抑えていました。
なお、台湾や澎湖諸島に関しては、その後も我が国の領土となり、明治28(1895)年には台湾総督府(そうとくふ)が置かれ、初代総督として樺山資紀(かばやますけのり)が就任しました。
また、この頃まで続いていた沖縄の帰属問題も、沖縄より西にある台湾が我が国の領土となったことで、自然消滅しています。
※下記の映像は3月6日までの掲載分をまとめたものです。
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