こうして、朝鮮半島は日本・清国・ロシアの3か国がお互いに勢力争いをする舞台と化してしまったのですが、その背景には我が国から清国、さらにはロシアへと次々と接近することで、他国からの干渉を逃れようとする朝鮮政府の姿勢もありました。この三つ巴(どもえ)の争いは、まずは我が国と清国との間で決着をつけることになるのです。
明治27(1894)年、朝鮮の民間信仰団体である東学党(とうがくとう)の信者を中心とする農民が、朝鮮半島の各地で反乱を起こしました。これを「甲午(こうご)農民戦争」または「東学党の乱」といいます。清国が朝鮮政府からの要請に応じて派兵すると、天津条約に従って日本に通知したことで、我が国もすぐに朝鮮へ派兵しました。
日清両国の兵士によって反乱は鎮圧されましたが、両国は反乱後の朝鮮国内の内政改革を巡って対立し、ついに武力衝突してしまいました。「日清戦争」の始まりです。
※下記の映像は3月6日までの掲載分をまとめたものです。
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