千島(ちしま)の奥(おく)も 沖縄(おきなわ)も
八洲(やしま)の内(うち)の 守りなり
至(いた)らん国に 勲(いさお)しく
努(つと)めよわが背(せ) 恙無(つつがな)く
八洲とは「多くの島」という意味で、島国である我が国の別称です。従って「その内」、すなわち我が国の領土には「千島の奥」も「沖縄」も含まれるという意味に解釈できますね。
「千島の奥」は千島列島すべてを意味しますから、明治8(1875)年に樺太・千島交換条約を結び、また明治12(1879)年に沖縄県を設置した後でつくられた歌詞であるということが分かります。ちなみに、4番の歌詞は我が国の領土が拡大するたびに変化していきました。
「千島の奥も台湾も 八洲の内の守りなり」
(日清戦争後に台湾を領有)
「台湾の果ても樺太も 八洲の内の守りなり」
(日露戦争後に南樺太を領有)
その後、大東亜戦争で我が国が敗戦した際に、樺太や台湾を手放しただけでなく、千島列島がソビエト連邦(現在のロシア)に不法占拠され、また沖縄が長い間アメリカの支配下に置かれたことで「実情に合わない」からと歌われなくなってしまったようです。
沖縄が返還されてから早や45年以上が経過した現在、我が国固有の領土である北方領土の存在を絶えず意識するためにも、当初の歌詞である「千島の奥も沖縄も」を堂々と歌い継ぐべきではないでしょうか。
※下記の映像は2月14日までの掲載分をまとめたものです。
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