しかし、雑居地とした樺太において、ロシアの横暴による紛争が激しくなると、朝鮮や琉球の問題を同時に抱えていた政府は、ロシアとの衝突を避けるためには、樺太の支配を放棄せざるを得ないと判断しました。
かくして日露両国は、明治8(1875)年に樺太・千島交換条約を結び、樺太全島をロシア領とする代わりに、千島列島の全島を日本領とすることを決めました。樺太と千島列島という明らかに不均衡な領土の交換は、当時の我が国とロシアとの関係をそのまま映し出す鏡でもあったのです。
なお、小笠原諸島(おがさわらしょとう)については、16世紀末に我が国が発見し、江戸幕府が開拓しましたが長くは続かず、所属不明となっていました。その後、新政府によって新たに日本の領土であると主張すると、一度は占領したイギリスやアメリカが異議を唱えなかったので、政府は明治9(1876)年に小笠原諸島を内務省の管轄としました。
※下記の映像は2月14日までの掲載分をまとめたものです。
(※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」が始まりました。詳しくは下記のバナーをご覧ください)
※平成28年4月13日(水)創刊!無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。




いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。