清国の煮え切らない態度に激怒した政府は、明治7(1874)年に西郷従道(さいごうつぐみち)が率いる軍隊を台湾に出兵させました。これを「台湾出兵」または「征台(せいたい)の役(えき)」といいます。
出兵後、事態の打開のために大久保利通が北京へ向かって清国と交渉を行うと、イギリスの調停を受けた末に、清国が我が国の行為を義挙と認めて賠償金を支払い、我が国が直ちに台湾から撤兵することで決着しました。
台湾出兵によって、琉球の帰属問題が解決したものとみなした政府は、明治12(1879)年に琉球藩を廃して、新たに沖縄県を置きましたが、その後も清国との間では交渉が続けられ、最終的な決着は日清戦争の終結まで待たなければなりませんでした。
なお、これらの琉球=沖縄をめぐる一連の流れは、今日では「琉球処分」と呼ばれています。
※下記の映像は2月14日までの掲載分をまとめたものです。
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