ところで、一般的な歴史教育においては、日本が欧米列強に突き付けられた不平等条約への腹いせとして、自国より立場の弱い朝鮮に対し、欧米の真似をして無理やり不平等条約となる日朝修好条規を押し付けたという見方をされているようですが、このような一方的な価値観だけでは、日朝修好条規の真の重要性や、歴史的な意義を見出すことができません。
確かに日朝修好条規には、朝鮮に在留する日本人に対する我が国側の領事裁判権(別名を「治外(ちがい)法権」)が認められていましたが、これは江戸時代からの慣習をそのまま成文化したものですし、また関税自主権については、日朝両国がお互いに関税をかけないという取り決めをしているところが、他の不平等条約とは全く異なっています。
それよりも重要なのは、日朝修好条規の第1条で「朝鮮は自主独立の国であり、日本と平等な権利を有する」と書かれていることです。これは、我が国が朝鮮を独立国と認めたことを意味しており、当時の世界諸国が朝鮮を「清国の属国」としか見ていなかったことからすれば、非常に画期的なことでした。
日朝修好条規は朝鮮が初めて自国で結んだ国際条約であり、この条約が結ばれたことで欧米列強も次々と朝鮮と条約を結びました。その内容は我が国が欧米列強と結んだのと同様に不平等でしたが、欧米列強が朝鮮を独立国として認めていることも意味していたのです。なお、日朝修好条規によって、朝鮮は釜山(ふざん、現在のプサン)・元山(げんざん、現在のウォンサン)・仁川(じんせん、現在のインチョン)の三港を開いています。
※下記の映像は2月14日までの掲載分をまとめたものです。
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