このような朝鮮の排他的な態度に対して、明治政府の内部から「我が国が武力を行使してでも朝鮮を開国させるべきだ」という意見が出始めました。
こうして政府内で高まった「征韓論(せいかんろん)」ですが、その中心的な存在となったのが西郷隆盛でした。しかし西郷はいきなり朝鮮に派兵するよりも、まずは自分自身が朝鮮半島に出かけて直接交渉すべきであると考えていました。その意味では、征韓論というよりも「遣韓論(けんかんろん)」といったほうが正しいかもしれません。
もっとも、西郷のような政府の重鎮が、国交のない国に出向いて万が一のことがあれば、朝鮮とはそのまま戦争状態となってしまうのは明らかでした。留守政府は西郷の朝鮮への派遣を一度は閣議で内定したのですが、一報を聞いてあわてて帰国した大久保利通らが猛反対しました。
※下記の映像は2月14日までの掲載分をまとめたものです。
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